殺戮というニヒリズム
「何も……」 006の足元で母親の腕に抱かれたまま、槍で貫かれた子供の姿を見て004はそう呟いた。あどけない顔立ちと不釣合いな恐怖で彩られた瞳は開けられたままで、口からは断末魔の声が未だ聞こえてきそうであった。 「004、それ以上はあんさんには言われたくない台詞。先月、男根を切り取って、それを男の口に捩り込んで、じわじわと殺したのは誰あるか。あんさんと、ワイと一緒ね。殺さなければ、生き残った子供が再び、ワイら殺そうと現れる。一族皆BG団の幹部だったのよ。その可能性は否定ではないアル」 「木を倒さば根を抜けか……」 そう004が呟くとしたから突き上げられるような振動がする。 全てを粉々にしてしまう為に、008と007が仕掛けた爆薬が爆発を始めたのだ。 「これで、終りアルよ」 「ダンケ」 グラスに注がれた酒を差し出されてアルベルトは受け取った。 珍しくギルモア邸に滞在しているのはアルベルトと、ピュンマ、グレートに張々湖の4人である。アルベルトとピュンマはたまたまメンテナンスに来ていたが故に、BG団の幹部暗殺の任務に付き合わされたのだ。 そもそも、張々湖飯店で使用する烏賊を猟師から直接買い取る為に訪れた日本の港町でBG団の幹部を見つけた。彼等は昔からその土地の実力者として権勢を振るっていたのだと、新しく取引をすることになった猟師から聞いたのである。 すぐにギルモア邸に応援を要請した張々湖とグレートであった。 そして、暗殺というよりかは殺戮に近いその日の任務を終えて帰宅したのは真夜中であった。本当に、ジョーとフランソワーズがギルモア博士のお供で出掛けてくれていたのは幸いとしかいいようがない。 「大人は?」 「台所にお篭り中だよ」 とグレートは自嘲の笑みを口唇に乗せ、アルベルトの隣に座るピュンマにも同じものを手渡した。からりと氷がゆっくりウィスキーによって溶かされる音がリビングには響く。 帰宅してシャワーで血を流したけれども、錆び付いた甘酸っぱい匂いが取れない気がする。幾度も、何人もBG団の幹部を暗殺してきた。その現場を見られた関係のない人間までも手に掛けてきているから、今更なのだけれども、その相手が子供だと死神といえども尻の座りがよくないのだ。 「大事だったよね」 人を殺しておきながらピュンマはあっさりとそう言う。彼はサイボーグになるまで内戦の真っ只中で戦い続けていて、人が死んでいく様を当り前のように見ていたし、暗殺という仕事も生身の頃に既に体験済みであったのだ。 生身であろうとサイボーグであろうと戦場にいることに変わらない、ピュンマにとってしてみればただそれだけのことである。 「全部で………、24人」 大人子供、老人を含めて24人。ペットもいたのだから正確には24人と3匹になる。 ピュンマは指を折って数えると、すげぇやと最後に付け加えた。 「まあ、こんなもんだろう」 グレートはグラスの中の氷をぐるりと回して、台所の方に視線を流した。 包丁の音やら、調理器具を使う音が淡々といつも変わらぬリズムでリビングに響いてくる。 その音に耳を傾けながら暫く三人は黙ったまま、グラスを傾けていた。 最後の一滴まで飲み干したアルベルトのグラスにグレートは次の一杯を注ぐ。決して、酒が嫌いではないアルベルトもそれを留めようとはしない。更にピュンマも全てを飲み干して、無言でグラスを差し出した。 氷とウィスキーだけを注いだグラスを自分より若年の二人に手渡したグレートは煙草を取り出して、口に咥える。 紫煙がやや冷えてきたリビングに立ち上り、匂いのきつい煙草の香りがウィスキーの香りと混じる。 「大人は、いや006はいつも、そうなのか」 口火を切ったのはアルベルトであった。 母子を一度に串刺しにした006の無表情な顔が忘れられない。自分がどんなに残虐なことをしてもそれは自分の一面だろうと、受け止められる部分があるが、仲間のそんな顔はあまり見たいとは思えないのだ。 「ああ、張さんね」 グレートは疲れているのか視線が宙を泳いでいる。あまり人前では張々湖のことを張さんとはグレートは呼ばない。二人だけの時に限られていて、どちらかというとグレートが精神的に参っている時にそう呼ぶことが多い。 「いつもああだよ。普段の人のいい張さんとは、全然違う。それも張々湖という人間の一面なんだろうけどね。我輩も未だ慣れぬよ。そんな彼の姿に……」 「殺すっていうより、材料を捌くって感じだったよね」 ピュンマは淡々とあの殺戮の場面を語った。 丸い太った躯がしなやかに動き、目にも止まらぬ速さで、刃渡り一メートルはあるかという包丁で彼等をあの世に送っていった。 血飛沫が派手に上がり、防護服が血に塗れた。 防護服が赤いのは、返り血を浴びたことを認知させぬ為でと聞いたことがある。 どれだけの血を浴びたのか、そのお陰なのか誰もわからなかったのだ。 「やっぱり、中国という国の人間だったのかと、僕はそう認識したけどね」 ピュンマは反対に、張々湖という人間のバックボーンを見ることが出来て彼の人柄に対する理解が深まったとでも言っているように、グレートとアルベルトには聞こえた。 「ああ、確かに、中国の慣習や文化にはそのような思想が含まれているのは知っていたが……」 アルベルトは口を濁した。自分でも、今回の張々湖の行動に対して整理が出来ているわけではないのだ。自分が、惨い殺し方で殺す相手は決められていて、過去002を性的な玩具にしてきた連中だけだ。ジェットがどうこうというのではなく、自分がそういった連中を見ると、自制が効かなくなるだけの話しで、個人的な問題である。どうして自分の気持ちがそこに到達するのか理解は出来てはいないのだから、尚性質が悪いと思いつつもそんな自分をアルベルトは何処かで許容しているのだ。 しかし張々湖のあの行動と自分の遣り方は、決して同一線上には並ばない。 「『西遊記』でも、悟空が妖怪をおびき出す為に妖怪の子供を突き落として殺害しているよね。中国の話しは戦略を理解するためにもいくつか読んだけど、そう言ったシーンや描写は多い。民衆に最も親しまれている『水滸伝』だって、一族郎党皆殺しなんてシーンは当り前のように描かれている。ってことは、それが、当り前の風習で、当然の感覚だってことだろう?」 ピュンマはどこか間違っているかとグレートとアルベルトに視線を走らせた。二人とも首を横に振って、続きを促してくる。 「彼等は”血族の儀”というのを尊ぶと聞いている。つまり、家族一族大切にするってことだよね。まあ、それは僕も内戦に身を置いていたから理解できなくはないけど。自分達一族を守る為の殺人やそれに順ずる行為に関してはね。でも、張大人には既に身内はいないわけだから、僕達00ナンバーが張大人にとっては家族となり得るってことだ。ってことは、僕達は、張大人という凄い味方が居るって具合に認識した方がどうかなって……、僕は思うんだよ。僕達は生まれた場所も、育った場所も違うし、ましてや同じ時代に生まれたわけでもない。サイボーグなってからの生き方だって違う。だったら、それをくだくだ言っても仕方がない。けれども、とこまで僕達をどんな形であろうと愛してくれている張大人を、僕は好ましいと思うけどね」 ピュンマは言うことは言ったよと自分よりも年長な二人に視線を送る。最後に若造の言うことだから随分、青臭いだろうけどねとの嫌味も決して忘れてはいない。 「わかるさ。ピュンマの言うことも……。我輩とてそう思おうとすることもある。だが、そんな張さんを見ると辛くなることがある。サイボーグになってしまったが故に、彼の血の中で眠っていたそれらが目を覚ましたのではないのかとね。人として当り前で普通の人生を送っていたとしたら、そんな苛烈な自分と対面せずには済んだのではないのかと……。面倒見がよくて優しい張さんと、戦っている時の張さんが時々、我輩の中で混乱するのだよ。我輩が弱気になっているといつも励ましてくれる威勢の良い、時にはおふくろさんのように抱き締めてくれるあの優しさの果てには何が存在するのか……、恐ろしくて目を瞑ってしまう。相棒を自称するからにはそれを見なくてはいかんと思いつつ、逃げているのだよ。我輩は……」 グレートはそういうと、煙草を灰皿に強く押し付けた。 苦い匂いを最後に吐き出して煙草の火は潰えた。 そして、あんたはとピュンマは黙ったままのアルベルトに視線を送る。生きてきた環境の違いを埋めるには、時折こうしたヘヴィーな話しをすることも必要だとわかってはいる。自分を晒しても、それをただの弱さだと片付けはしない。それが仲間だと分かっていても、アルベルトには語りたくない事情もあった。 「俺には……。むごいことをしているということに関しては、俺の方が余程かも……な」 だから、006に自分に言われたくはないとそう告げせられた時に、子供まで殺すことはないとは強く出られなかった。それが張々湖という人間の一面だと理解できているわけでもない。ただ、何かを言える立場ではないとそう思っただけだ。 「それをいうなら、全員が……だろ」 とピュンマはあっさりとそう言った。 やはり内戦の中で生き抜いてきた生え抜きの兵士は、サイボーグになるまで普通の人として生きてきた自分達と違うのだろうか。ピュンマは優しいようで、何処か人の生に対して冷酷な部分を見せることがある。死が訪れるのは運命で、逆らえぬのだろうと冷笑する。 そんなピュンマを見ているとグレートは、エジプトの死を司る神アヌビス神を思い浮かべる。戦いの場で冷静に戦況の行く末を話し合うピュンマとアルベルトはまるで、死を司る神が人の運命を決めているかのように映ることがあるのだ。そして、自分はそれに踊らされる小さな木の葉の如くの存在でしかないのでしないかと、ふと脳裏を過ぎる錯覚とだと分かっていても、恐怖はこびりついて取れない。 いつも自分の心は恐怖で満たされている。 今も、こうして顔をつき合わせている二人の底の見えぬ混沌とした闇の部分を感じ取って、見えないが故の恐怖に攫われてしまう。逃げ出したくても、腰を上げられない弱さにグレートは助けを求めるようにキッチンの方向に視線をちらりと流した。 「あんた達、さっさと寝るアル。寝不足は美容の大敵。明日のお昼には、皆帰って来るよ。全員で飲茶にするから、12時にはちゃんと起きてくる。いいアルね」 突然、キッチンで音が止んだかと思うと、騒々しさを演出するような足音を立てて張々湖がリビングに入ってくる。 「で、我輩もゆっくり寝ててよいのかね。相棒」 グレートはいつもの調子でぷりぷりと怒りながらエプロンを外す張々湖にそう声を掛ける。 「馬鹿アルね。とても有能な助手が帰って来るから、要らないアルよ。ちゃんと今夜は独りで寝るのことよ。わたしも働きすぎて疲れたアル」 いつもの張々湖と何一つ変わらない。まるで、何処か口煩いお袋のイメージを湛えたままで、いつもの口調は怒っているようでも、つぶらな瞳には笑みを湛えて、肉のついた小さな温かな手が強くなく弱くなく絶妙な力で背中を押してくれるそんな彼がそこにはいる。 話しをしながらリビングを横切っていった彼がぴたりと、リビングの入り口で歩みを止める。 「人生はそもそも苦悩と悲惨の連続でほとんどが成り立ってるアル。それから開放してやったのだから、済度したことになるアルよ。わたし達は罪で苦しむ連中を開放してやっているね。そう思うことにしてるアル。だから……、気にしないことね」 と三人に背を向けたままそう言い残して、たっぷりとした肉をゆさゆさとゆすりながらリビングを後にした。 張々湖の躯に纏わりついていた食べ物の香りと台詞だけが、リビングに残され、三人は遠ざかっていく張々湖の足音を見送っていた。 やがて、足音が聞こえなくなり、お開きにするかと互いの顔を見合わせた。先刻互いに顔を見合わせた時よりも、互いの顔がわずかだかはっきり見える気がする。 暗かった部屋に、光が差し込んできていたせいだった。 朝が来たのだ。 長い夜だったように思える。 アルベルトとピュンマはその光に釣られたように顔を上げて、明け逝く空を見詰めた。からりと氷の解ける音がして、それは夜が朝陽に解けて行く合図にも感じられる。 何があろうとも夜は明け、朝がやって来るのだ。 自分達が人を殺そうと、人の命を救おうと。 誰かの為に戦おうと、誰かの為に傷付こうと。 所詮、自分の為にやっていることなのさと、いうことになるのだ。 「殺戮は、ニヒリズム……なのかね」 夜の余韻のようにぽつりと漏れたグレートの芝居めいた台詞すらも、朝陽に溶け出していくのだった。 |
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