秘めやかな微熱



 これは、対ロボットとの戦闘データを収集する実験のはずだ。
 生身の人間が紛れているなど聞いてはいない。
 今までも、対人間との戦闘は経験してきていたし、その手で生身の人間を殺したこともある。どのような背景があったとしても、それは純然と目の前に横たわる事実であり、そのことに対して004は言い逃れをしようとすら考えたことはなかった。
 けれども、突発的な出来事にそれら全ての思考を脳は放棄しようとしていた。
 サイボーグとして蘇って数ヶ月、過酷な訓練と実験の中で本能にのみ縋って生き延びて来た。死ぬのだと淡い希望を抱き意識が暗闇に呑み込まれて行ったとしても次に目が覚めた時には、元の躯に戻っている。あるいは、その能力がヴァージョンアップしていることも少なくはない。
 そんな日常の中で、発狂しない自分は元々他人を殺傷することに対する禁忌が薄いろくでなしなのか、そんなまともな感覚など何処かに捨ててしまったのだろうと思えるくらいに、人を殺すことに然程、罪悪感を覚えなくなってしまっていた。
「ちっ」
 004はマフラーで顔にこびり付いた血と飛び散った人間の脳の欠片をぐいっと拭い取った。


 突然、目の前に飛び出して来た年の頃40歳ぐらいの眼鏡を掛けた小柄の男を咄嗟に撃ち抜いていた。
 004のマシンガンの弾を頭を撃ち込まれた男の頭は吹っ飛び、最後の表情すら見ることは出来なくなっていた。首から下が辛うじて、人間であったのだということを示しているだけである。
 独り殺してしまったくらいで、手が震えている。
 顔に飛んできた血飛沫と肉体の破片に恐れを抱いてしまった。
 確かに、対ロボット相手の訓練だと連中は言っていた。
 どうして、その中に生身の人間が居るのだ。
 生身の人間が相手の場合は生身の人間が相手だと、訓練や実験の前に告げられていた。004にとって今、このような突発的な出来事は初めての経験だった。
 初めて人を殺した時以上の衝撃が、忘れていた感覚に激しく揺さぶりをかけてくる。
 膝が笑い、足が動かない。
 その重量級の躯を背後にあった木の幹に凭せ掛けて、座り込むのだけはかろうじて堪えているのが精一杯であった。
 この男に恨みなどない。
 見たこともない、会った事もない。
 自分目掛けて飛び込んで来た様相はどうみても訓練された兵士の動きではなかった。普通のどこにでもいるような男が鬼気迫る形相でマシンガンを乱射して走って来たのだ。自分の戦闘能力であったとしたら、殺人という事態を避けられたかもしれないのだ。
 でも、敢えて自分は避けようとはしなかった。
 戦闘によって研ぎ澄まされた感覚は、自分を狙う銃口の存在に気付いていた。でも、どうしてなのか、それに対して何かアクションをおこそうとは004は欠片も思わなかったのだ。その存在が現状の自分にとって脅威となる程の戦闘能力がないと判断していたのか、今となっては自分の心の軌道を辿ることも難しい。


 何故なのだろう。
 この男を殺してしまったことに後悔はないけれども、恐れがある。


 やはり、自分は人を殺す為の機械に成り果ててしまったのだろうか。
 改造手術を受けて目覚める度に自分という人格の薄皮が一つずつ剥離していくような、あの不安とこの驚愕とは何処となく類似した感情のように思えてならない。それでも、どうにか躯を動かして、この場から離脱して、002とのランデブーポイントに急がねばと004は何度も深呼吸を繰り返していた。
「004ッ!!」
 その声に釣られるように顔を上げると、上空から002が落下して来て、猫の如くにしなやかな身のこなしで004の目の前に降り立った。科学者達は冗談めいた口調で彼を天使と呼ぶが、その少年の域を脱することが永遠に出来ない容姿とは裏腹に自分以上に冷酷な部分を持ち合わせていることを004は002との合同で行われる背訓練や実験で心得ていた。
「よぉ」
 道端で知り合いにあったとでもいうような口調と仕草だ。
 002は転がった死体と木の幹に辛うじて背を預けて立っている004とを見比べた。
「ランデブーポイントに向かってたら、あんたの姿が見えて、全然動かなかったから死んでるんじゃないかって、下りてきたんだけど……」
「死んでは、いないらしいな。残念なことに」
 強がりを言う口唇は元々色がないが、今はそれ以上に色を失っている。口の端についている返り血がルージュをさしたかのように赤く映える。
 こんな男の姿を002は初めて目の当たりにしていた。
 幾度かの単独による訓練と実験の後、現在稼動しているメンバーでどのような作戦が可能か、あるいはどのような機能を追加すればよいのか、問題点は何処なのか、データは幾らでも必要だった。
 従って、彼らの日常は実験と、訓練の中に存在していたのだ。
 プライベートを過ごす時間などほとんどない。
 誰かが戻れば、誰かが連れ出される。
 全員が与えられたプライベートエリアに集まるのは滅多にないことであった。
 002も数え切れない何度目かの手術を受けて、目覚めてすぐにこの実験場に連れてこられたのだった。自分の記憶が正しければ、004と会うのはかれこれ1ヶ月ぶりになるだろう。
 自分のデータの中に残っている004の姿と今の姿の差異点を自然と探してしまうのは、仲間といえども生き残る為の材料の一つであるとの戦いの理論にどっぷり浸かっている証拠だなと002は苦笑した。
 それでも、印象が以前に会った時と異なる部分を探すことが止められない。
 何故なら、表情らしい表情を覗かせたことがない男が今、自分の目の前で脅えているのだ。
 可笑しいとネジの飛んだ頭は、沸きあがる感情をそのように分類する。
 驚愕を含んだ004眼差しの先にあったのは、自分の足元に転がる一人の男の死体であった。002はその頭の半壊した死体をブーツの爪先で突いた。そこから伝えられる情報は、この死体は生前戦闘訓練など受けてはいないということだ。
 鍛えられた筋肉の欠片もない、骨と皮しかないのではと思わせる躯だった。
 其処から導き出される答えは一つしかない。
 この男がBG団を裏切るような行為をしたということだけだ。
 002も最近知ったのだが、時折兵士としての訓練を受けていない全く素人が自分達の訓練や実験に混じっていることがある。彼等はどさくさに紛れて、BG団の兵士に殺されるか、あるいは自分達の標的になり、やがては物言わぬ骸となる。
 つまり、人が大量に死ぬ場所で殺した方が研究所が血で汚れることはない。科学者達はある意味BG団の兵士達よりも残酷な実験をしておきながらも血を見るのを好まないからだ。従って、裏切り者はこうして処分されていく。
「どうして」
 004がようやく溜息のような声を吐き出した。
「裏切ったからだ」
 002は淡々とそう答えた。俯いていた004の視線が淡々と感情を見せない002へと当てられる。
「多分、こいつは科学者かあるいは、科学者をサポートしていた構成員だろう。どう見たって戦闘訓練を受けてるようには見えない。研究成果を持ち出そうとでもしたか、BG団内の他の機関からのスパイかもしれない。とにかくこのサイボーグ研究所にとって、裏切り行為をしたからだ。あんたも気付いていただろう。時折、戦闘訓練を受けたとは思えない連中が訓練に混じってるのを……、そういう裏切り者はこうして消されていくのさ」
 何処か冷めた002の台詞は、004の恐れに震えていた神経を鎮めてくれる効果があった。
「ああ、気付いてはいたが。今日の相手はロボットの実験だと聞いていたんでな」
 その台詞を聞いた002は、どうして004が人を殺したぐらいで驚愕していたのか気付いてしまった。人を殺すのだと心構えがあれば、心を鎧で包み込み壊れるのを防ぐことが出来るが、突発的な事態に、剥き出しの心を守ることが出来なかったのだ。
 長い時間を共に過ごしたわけではないし、男の過去などは聞いたことはない。
 兵士や科学者達の噂話を耳に挟んだ程度で、ドイツ人であることと30歳という年、そしてベルリンの壁を越えようとして負傷したということしか知らないのだ。
 それ以上、踏み込める付き合いはしてはいない。
 けれども、心を守らなければ狂ってしまう弱さを持った004が不思議と好ましいと思える。泣いてばかりいた003の姿とどういうわけか重なってしまうのだ。決して、涙は見せないし、表情にも出さないが、見知らぬ人間を殺して心を痛める姿はまさに、死を司る死神に相応しい姿に他ならない。
「たまに、そんなこともあるんだ。ここは……、そういう場所になんだ。004」
 男の死体を跨いで、002は木の幹に寄り掛かっている004の前まで歩いて行く。上空から確認した限りでは、この周辺にはロボットは配置されてはいない。例え、自分達を追ってきていたとしてもロボットの歩行速度は時速30km程で、辿り着くにはまだ時間がある。004と少し話す時間ぐらいは取れるはずだ。
 話してみたいなんて何を考えているのだと、自分の中の自分がそう語りかけて来る。話したって得るものはないし、現状を打破できるわけではない。けれども、004をこのままにしておけないという衝動は002の中の野次を黙らせてしまうものであった。
 目の前に立ってみると木の幹に凭れている為、004の視線がやや下にあることに気付く。
 蒸れるような血と、硝煙の匂いが002の鼻腔を擽る。
「血がついている」
 004が口唇の端から頬に掛けて浴びた返り血を002は指の腹で拭った。その何処か性的な仕草に004は002をじっと見詰めたままだ。その様子は、002が何をしたいのか全く検討もつかずにいるようだった。
「あんたを、殺しはしないよ。大切な仲間だろう?」
 そういって、この場所に不釣合いな笑みを零し、004の背中に腕を回した。木の幹に触れていた背中を引き剥がし、自分の方へ凭せ掛けるように抱き寄せ、返り血のついた銀色の髪にキスを落とす。少しだけ抵抗しようとする004の躯を更にぎゅっと抱き締めた。
 科学者の手以外に触れられたことのないサイボーグの肉体が、触れる手の温かさと柔らかさを伝えて来て、まだ生身だった頃の触れられる感覚がどうしてなのか蘇って来る。
 触覚などほとんどないはずのボディのそこかしこに、触れられた後に残る微熱を帯びたような感触が点在している。
「大丈夫だ。死んだのは、あんたでもオレでもない。あんたは生きてる。いや、死ねないんだよ。死ねないなら、生き延びるしかないじゃないか。それに、あんたは独りじゃない。不本意だろうけど……、オレが居るから、寄り掛かりたいならオレに寄り掛かればイイ。あんたみたいなハンサムになら、抱かれてやってもいいよ。溜まってんだろう。ここに来てから、一度もさせてもらってないんだろう」
 そう言うと002の指先が突然何の前触れもなく004の股間へと伸びて来た。触れられた瞬間、004の何かにスイッチが入り、脅えて剥き出しになっていた心が瞬時に変貌を遂げる。なけなしの004のプライドを002は擽ったのだった。
「ふざけるなっ!!」
 右手を002へと繰り出すか、寸でで避けられてしまう。
 激昂した004を002はヘラヘラとしたいつもの腹正しいという感情を呼び起こす笑いを口の端に浮かべてその様を見ている。一瞬でも、002に縋ろうとした自分が004は許せないと思った。
 今更、人殺しが何なのだ。
 ここは戦場だ。
 連中の言うことを真に受けた自分が馬鹿だっただけだ。
 あのまま死なせてくれればよかったものを地獄から自分を強引に呼び戻した連中の言うことを、例えどんな形でも信じてしまっていた自分の不甲斐なさに臍を噛んでしまいたいくらいの後悔を覚える。
「へっ!! 少しは、しゃんとしたかい」
 性的な匂いを漂わせていた002は其処にはいなかった。
「煩い」
「しゃんとしてもらわねぇとな。今回の実験は結構ヤバメなんだよ」
 先刻のヘラヘラとした笑いは002の表情の中にはもう残ってはいない。コロコロと変化していく002の態度に004は振り回され気味だったけれども、002が自分自身について語ることに嘘や冗談はあっても、戦場で戦闘状況においては過不足なく事実だけを伝えて寄越すことを004は理解していた。
「対ロボットの実験って言ってるけどな、実際は対サイボーグ兵器を搭載したロボットの実験らしいんだ。どういう兵器積んでるか、そこまではわかんねぇけどな。お互いに協力しないと、そいつの餌食で、下手したらあの世逝きってやつだ。まあ、簡単にあの世に逝けるんならそれでもいいけどな。多分、それはないだろうからさ」
 002の台詞が自分達を取り囲む現状の全てを物語っていた。自らの死を選択することすら出来ない日々がここにはある。死にそうになったとしても、すぐにこの世に連れ戻されて、更なる機能の向上が図られる。その為の実験、訓練が重なっていくだけなのだ。
「けっ」
 余計なことしやがってと、004はそんな台詞を吐き捨てる。背筋を伸ばして空を見上げ、002に触れられた場所に残る微熱を振り払うように武者震いをしてみせた。どうして002に対して、一瞬でもあんな感情を持ったのか理解したいとも思わないし、そんな自分を肯定もしたくはない。自分は白昼夢を見たのだ。
 機械が埋め込まれた躯がバグを起こしたのだと、004は強引に結論付け、ランデブーポイントに向けて歩き始める。
 二人とも何も語らなかった。
 002は、風に揺れる葉の重なり合う音より小さな溜息を零し、何処か哀しそうな瞳で歩き始めた広い004の背中を見送っていた。やがて004の緑の防護服が森と同化してしまったのを確認してから、口唇だけを動かして独り言を零す。
「仕方ない。ここは、そういう場所なんだ」
 自分もこの手で幾人もの命を奪ってきたのだ。
 そうこの手でと、腕を持ち上げて自分の掌を見詰めると004の頬の血を拭った時に付いた名残りが其処にはあった。自分や003とは構成自体全く異なる堅い冷たいはずの004のボディはとても温かかった。
 不思議と人肌の温もりを感じることが出来た。
 それが自分にとっては何ら救いにはならないはずなのに、002はそれを忘れることは出来なかった。それがどういう意味を持つのか、002は敢えて考えないように心の奥底に沈めてしまう。
 とにかく、何を利用したとしても生き延びる。
 限りなくゼロに近い可能性しかなくとも何時の日か、003と001と三人でここを出て行くことを002は夢見ている。苛烈な現実の中でただ一つ、002が胸に抱いている希望がソレであったのだ。その為には、全てのものを利用してでもと、そう思っていたから、004に対して芽生えた微熱のような感情を敢えて気のせいなのだと片付けることに心も合意した。
「ここは……、そういう場所なのさ。004」





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