誕生日の事情



「お前を一人残して、NYには行けないよな。ジェットがわざわざ来てくれるんだから、いい子にしてるんだぞ」
 男は掌に乗っかり、自分の言葉がわかるのか毛づくろいに余念のないしネズミに声を掛けた。
 飼い始めたのは半年ほど前のことである。
 仕事のお得意先で、日本の製薬会社と共同研究しているドイツのとある製薬会社の研究所であった。もちろん、共同研究なのだから、日本からも研究者が大勢出向してきている。
 翻訳機で日本語を理解し、日常会話もこなせるアルベルトは重宝されていて、その製薬会社の仕事は彼が現在は一手に引き受けていると言っても良い状態であったのだ。
 そんなある日、彼は実験用のネズミの運搬の仕事をした。業者から受け取ったネズミの入ったゲージをそのままその研究所に届けるというものであったのだ。その日の最後の仕事であったし、次の仕事の打ち合わせを兼ねて荷であるネズミのゲージを下ろした後も、研究者達のわがままな要望や不得手な日常業務や雑務を一手に引き受けている女性スタッフと話しこんでいた。
 そこに現れたのが、このネズミであったのだ。
 伝票には確かに、20匹と書かれていたはずなのに、中身には21匹のネズミが入っていた。業者に問い合わせた所、確かに20匹入れたと譲らない。研究所も欲しいのは20匹であり、21匹ではなかったのだ。
 だったら、ペットとして誰が連れて帰るかという話しになったのだが、ここのセクションにいる研究者はネコを飼っているか、あるいは動物は飼わない派ばかりであったのだ。ネコにいる家にネズミを持ち帰るのはいささか気が引けるというもので、誰か貰い手はないかと、雑務を引き受けている女性スタッフの元を研究者が訪ねて来たのだった。
 赤味がかかった金色のふかふかとした毛並みをみた瞬間、アルベルトは興味をそそられた。そして、顔を近づけたアルベルトに対して『きゅい』と可愛らしく鳴き、笑うように目を細めたのだった。
 次にまんまるに開いた目が、光線の具合によってではあったが青色に見えたのである。
 この色彩にアルベルトはとことん弱かった。
 つい、俺が飼うといってしまったのである。
 小さなゲージを一つ借りて、このネズミを連れて帰宅してという具合なのである。
 ネズミとの蜜月は半年も続いた。何処に行くにもトラックに乗せて連れて歩くという溺愛ぶりだったというこは言うまでもないであろう。
 恋人のジェットと会えない寂しさをこのネズミは癒してくれたのである。
 毛色はジェットの髪に良く似ていて、濡れた瞳はこれまたジェットの瞳に似ている。困ったように首を傾げる仕草やら、可愛いの一言なのである。
 この男、元々カワイイモノに弱かった。
 犬だの、ネコだと小動物系の可愛らしさにとことん弱い。今まで、小動物の如くに愛らしい人間というものは存在してはいなかったのだが、ジェットはそのツボにモロに嵌った人物であったのだ。
 あの手この手を使って、ようやく陥落し、恋人の地位に納まり、只今、遠距離恋愛中であった。
 本来ならば、ジェットの誕生日に合わせてアルベルトが休暇を申請しNYへと行く予定だったのだが、このネズミのおかけでNYには行かれなくなってしまった。ペットホテルに預けるなんて、選択肢はアルベルトの頭の中にはない。従って、反対にジェットがドイツに来て誕生日を一緒に過ごすこととなったのだが。
 ジェットは未だ、このネズミの存在を知らなかったのだ。
 もちろんアルベルトも時折、やりとりしている電話の中でも話さなかった。ジェットをびっくりさせてやりたいと思っていたからだ。
 ジェットを彷彿とさせるこのネズミは、とても賢くアルベルトの言うことをちゃんと聞くのだ。だから、可愛さも倍増され、目下この愛らしいネズミにアルベルトはメロメロであった。
「ほら、リボンが曲がってるぞ」
 アルベルトは笑いながらそっとテーブルの上にそのネズミを置くと、小さな黄色にリボンをその厳つい鋼鉄の手で器用に結びなおしてやっている。ネズミも分かるのか、じっとして動く気配もない。
「ほら、ハンサムさんに出来たぞ」
 30歳も過ぎた男がネズミに向かって話しかける姿は、はっきりいって寒い。アルベルトが顔立ちの整ったハンサムという部類に入る男だとしても、寒いことに変わりはない。もちろん恋人であるジェットも同じ感想を抱くものではあるが、それは置いておいてだ。
「へけたろう。ちゃんと、ジェットに挨拶するんだぞ」
 だから、ここに第三者が居たら止めてくれと懇願しそうなラブラブぶりが展開されていた。
 ネズミが前足をまるで抱っこしてというように差し出した瞬間、玄関ブザーが鳴った。
「ほら、来たぞ。おいで」
 ネズミはてってっけっと足音を立ててアルベルトの腕を伝い肩に乗っかった。
 なかなか開けてくれないのに、腹を立てているのかジェットは幾度もブザーを鳴らしている。その姿を想像しながらアルベルトは嬉しそうな笑みを零し、玄関のドアを開けた。
「ようこそ、ジェット」
「きゅい」
 一人と一匹がNYから来たジェットを出迎えたのである。





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