博士と僕
「博士」 ジョウは自分に背を向けたまま海が一望出来る場所に置かれているロッキングチェアーに座ったギルモア博士に声を掛けた。 「ジョウ、忘れ物かね」 少ししゃがれた声が聞こえてくる。 今日は分厚い雲が空を覆い昼間であるのにも関わらず、部屋の中は薄暗い。しかも窓は開け放たれていて冷たい海風が吹いてきている。部屋の中には火の気すらなく、ただ冷たい空気だけが支配していた。 「風邪を引かれてしまいます」 そう言って、博士を見ることもしないでジョウは窓に歩み寄って静かに窓を閉めた。 「ハインリヒ君を待たせてはいけないよ。ジョウ」 「彼はNYに行きました」 ジョウは静かにそう言った。自分とハインリヒはよく似ていた。年や家柄などで好きになるのではない自分の心に共鳴する相手の心に惚れるのだ。 自分の気持ちに忠実でありたいと願っているけれども、相手は迷惑しているかもしれないのだ。そう思ったから、互いの愛しい人を忘れようと抱き合ってみた。けれども、反対に互いの愛しい人の存在を鮮明に思い出させるだけだった。 「ちゃんと食事されましたか? 今夜は身体の温まるものを作りますね」 「ジョウ」 「言わないで下さい。あたしはここしか居る場所がないんです。博士に追い出されたら……。博士が助けて下さらなかったらあたしは、多分今頃、男達の玩具になっていたでしょう。でも、助けてくれたから、貴方の傍にいたいんじゃないんです。好きなんです。愛しているんです」 ジョウは博士の足元に座り込んだ。そして、縋るように膝に手を置いて涙で濡れた瞳で博士を見上げた。 「あたしには博士しかいないんです。博士からの手紙読みました。あたしの幸せを願って下さるのなら、あたしに博士の残りの人生を下さい。許される全ての時間であたしを愛して下さい。それがあたしの一番の幸せなんです」 「ジョウ。確かに、お前を愛している。娘としてではなく、一人の女として愛している。しかし、わしは若くはない。どれだけ生きられるかも分からん……、それでも構わんのか」 博士は困ったように見上げるジョウを見詰めた。 研究一筋で、どうやって気持ちを伝えたらよいのか博士は知らなかった。ただ、ジョウが愛しいだけだったのだ。女性としての幸せを願って、友人の息子であるハインリヒに託したのだったが、ジョウがいない家は火が消えてしまったかのように冷たいと思えた。 研究をする気力すら沸かなかった。 ジョウが去ってしまったここ数日は、海を見ているだけだったのだ。 「ええ」 ジョウは笑った。 ここ数ヶ月ジョウのこんな晴れやかな笑顔を見た記憶はない。この笑顔を奪っていたのが自分であったのだと思うと途端に自分が情けないと思えた。 「キスして下さいませんか。恋人にお帰りのキスを……」 ジョウが瞼を閉じると目尻から、零れそうになっていた滴が白い頬を流れていく。ギルモアは無骨な指でそれを拭うと、その頬を愛しげに撫でる。 「いや、恋人ではない。妻にお帰りの口付けを……」 博士はそう言うとジョウの口唇にお帰りの口付けを一つ落とした。 「そうそう、これだよ」 ジョーは鼻をずずっとすすり上げた。 「君はなんて天才なんだ。このジョウの切ないまでの博士を愛する気持ちが……、泣けちゃうよ。博士のジョウを愛する純粋な気持ちも……うううう」 本日もジョーはお隣のハーレクィーンロマンス作家のお宅で午後のお茶を楽しんでいる最中であった。こんなのどうだと、初老は科学者とそれを愛する助手兼家政婦の女性の話をリクエストしたのである。 ようやくそのストーリーが一冊の本になり、2週間後に書店で発売となる。それが、今日の午前中の宅配便でお隣に届いたのである。 「そうかな?」 褒められて嬉しくないはずはない。 何せ、中間管理職だった彼は上から叱られ、下から突き上げられての日々を過ごしていたのだから、ジョーの賛辞はとても気持ちがよい。彼と話しているとネタがどんどん浮かび上がってくるから、とても楽しいのだ。 BG団時代のことを考えると自分の過去がバレると非常にまずいと思いつつ、引越しが出来ずにいる。こんなに気の合う友達を得たのは、人生で始めての出来事であったのだ。 「でも、編集でも評判がよくって、ハインリヒ伯爵とヤンキー娘のシンデレラストーリーを次回はどうかって話があるんだよ。もちろん、博士とジョウも出すつもりなんだけどね」 「すっごく、楽しみだよぉ〜。うん。よかったら何でも、言ってね。協力するよ。」 ジョーは本を胸に両手で抱き締めている。 「でねでね……」 「うんうん、だからね」 目をキラキラとさせたジョーと元BG団幹部スカール、現在お隣さんでハーレクィーンロマンス作家の彼の午後は今日もこんなんで過ぎていくのであった。 |
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