ウサギ



 どうして、あたしが兎を飼わなきゃいけないのよ。
 そう一人突っ込みを入れたんだけど、雨の中、前足に傷を追って、ダンボールが積まれたゴミ捨て場に蹲っていた灰色の毛の兎を見て放置しておけるほどにはあたしも、非道じゃないのよね。
 まあ、人間よりは害はないしね。
 と思って、自宅に連れて帰ることにした。
 雨の中でみすぼらしく見えていた毛は思いの他艶やかで綺麗なアッシュグレー、そして首の周りだけ白い兎だった。
 取り合えず、その日の晩は水と冷蔵庫にあった生野菜とドライフルーツを与えて、翌日、急いでペットショップに兎用のゲージと餌を買いに走ったわよ。後は店員を捕まえて兎の飼い方までレクチャーしてもらった。
 ゲージに入れられた兎は多分飼われていたんだと思うのよね。反対に狭いゲージに入れられて安心しているようだった。
 藁や兎用の餌をこりこりと小刻みのよいリズムをさせて食べている。
 時折、指を差し出すとあたしであることを確認するように鼻先を近づけてきてくんくんと匂いを嗅いでいた。
 うん、可愛い。
 別にあたしは動物が嫌いなわけじゃない。
 あたしがまだ子供で、そう両親が生きていた頃は犬を飼っていたけど、それ以来動物を飼える環境で生活してこなかったし、それから数えて、数十年ぶりの動物との生活ってわけ……。
 なんていうのか、見てて飽きない。
 サイボーグになってから、視ることは嫌いだった。見たくないことまで見えてしまうことに嫌気がさしていたから、普通に何か物を見ることも時々嫌になってしまうことがあるのだ。
 でも、この兎は見ていたいと思わせる。
 狭いゲージの中を忙しなくごそごそしてこみたり、ぐぐっと背を伸ばしてみたり、外の車のエンジンの音に耳を欹ててみたり、荒んでいる気持が穏やかになってくるのが自分でも分かる。
 もう、あたしはこの子を飼うつもり満々だった。
 多分、飼い主がこの子を探すこともないと思う。
 この子を拾って傷の手当てをした時にこの子の躯のあちこちに傷があったし、右の後ろ足が不自由だった。視て分かったんだけど、骨折したのを手当てもせずに放置したままにしていた為、びっこをひいている状態で歩いている。
 つまり、飼い主はこの子を可愛がってはいなかったってことじゃない。
 だから、探さないと思うのよね。
 でも、名前がないと不便よね。
「ジェット」
 あたしは、愛しい可愛いあたしのジェットの名前を呼んでみる。
「ジョー」
 年下のあたしに恋愛感情を抱いている彼の名前を呼んでみる。
 次々と仲間達の名前で呼んでみるけど、全然反応がない。あたしの仲間の国籍はバラバラだから名前も英語読みと、フランス語読みとで違ったりもするのだ。何気にもう一度、仲間の名前を英語読みで呼んでみたとりもした。
「アルバート」
 あしたが個人的には一番気に入らない独逸男の名前を呼んだ瞬間、兎は耳をピンと立てて反応し、ゲージの隙間から鼻面を出した。そして、あたしの差し出した指先を媚びるように匂いを嗅いだ。
「アルバート」
 そう言って、指の腹で眉間を撫でると躯を丸めて動かなくなった。
 ああ、この子はアルバートと呼ばれていたんだ。
 別にね。
 名前がどうこうって言うんじゃないけどね。あたしの可愛いジェットを横取りした男の例え、読み方が違ったとしても同じ名前であることには違いなく、かなり複雑な心境だった。
 でも、潤んだ赤い瞳は、ジェットを何処が彷彿とさせて、結局あたしは仕方なくこの子の名前を『アルバート』にしたのだった。
「いいこと。同じ名前だけど、あの男みたいに可愛げのない男になっちゃダメよ。でないと、非常食料にしてしまうからね。いいこと、アルバート。今日から、あなたの飼い主はこのフランソワーズ様になるんだから……」
 


 こうして、パリでの一人と一羽の生活は始まった。





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