毒ある花の微笑み



 一面にクロッカス花が咲いている。
 紫色の花が風に凪ぐ姿は、例えようのない美しさがある。
 その紫色の狭間で赤味を帯びた金髪が太陽の日差しを受けて輝いていた。
「フラン」
 その赤味を帯びた金髪の彼は大きく手を振って、帽子が飛ばないように抑えながらゆったりと歩むフランソワーズを急かすように呼んだ。
 フランソワーズは微かに笑いを零しながらも、ゆったりとした歩調を変えることはしなかった。
 ここはスペインのコンスエグラという町である。
 かの『ドン・キホーテ』の舞台ラ・マンチャ地方にある町だ。
 この町の特産はサフランであるのだ。
 一面に咲いている紫色のクロッカスの特徴的な長い雌しべはサフランの原料となるのである。来週にもなれば、サフラン祭りが開催され町も賑わうであろう。10月の最後の日曜日に開催されるその祭りは町を挙げての大騒ぎとなる。
 大騒ぎが見たいのでなく、一面に咲くクロッカスが見たかっただけなのである。
 それにジェットも一緒だというのは悪くない旅行だ、とフランソワーズは微笑んだ。
 アルベルトを出し拭くのに艱難辛苦しただけのことはある。
 あの男はすぐにジェットを一人占めしようとするからいけないのだ。夏のバカンスだってジェットと一緒に日本で過ごそうかと誘えば、既にアルベルトとスェーデンの貸別荘で過ごす予定だというのだ。
 ジェットに前もってさり気に日本でのバカンスの話しを持ち出してあったはずだし、それはあの男にも伝わっていたはずなのに、もう別荘を借りてしまったのだとジェットに嘘をついたのだ。それは、後々グレートがアルベルトのおかげでスェーデンに貸別荘を探すのにえらい目にあったと日本でのバカンスの最中に言われた時は、暑さだけでなく怒りで卒倒するかと思ったくらいである。
 毎年、夏のバカンスが取れる場合はメンテナンスも兼ねて日本のギルモア邸に集まるのがここ数年慣例となっていたから、敢えて約束しなかったのは自分の手落ちだが、怒りは収まらない。
 花火大会も、夏祭りも、海水浴も、すいか割りも流しそうめんも楽しさは半減してしまう。
『あたしに灰色の夏を過ごさせてくれたお返しとしては、聊か可愛らしいものよね』とフランソワーズは独逸の方角を見て、シニカルな笑みをジェットに見えないように浮かべた。
 早くと忙しく呼ぶジェットの声にやや歩調を速めて、ジェットの隣フランソワーズは立った。
「綺麗ね。来週にはお祭りもあるそうよ。ジェットにはお祭りの方がよかったかしら?」
 そう下から覗き込むようにするとジェットはううんと首を横に振った。
「NYは毎日お祭りみたいな街だからさ。反対に静かな場所は新鮮に感じるよ。フランソワーズと二人でゆっくりの旅行なんて、出来なかったしさ。ほんと、今回だけはアルベルト様々だな」
 とジェットは本当に楽しそうに笑った。
「でも、いいの? 貴方、アルベルトと一緒に来たかったんじゃないの?」
 フランソワーズの問い掛けにいつもなら一瞬の間があるのだが、今回は間髪入れずにいいやと返事が返ってくる。余程、頭にきているように見える。それが楽しくてフランソワーズは心で高笑いをする。
『あの馬鹿独逸男っ!! このフランソワーズ様を出し抜こうなんて考えるから、こんな目に会うのよ。バカンスのお返しは、これくらいじゃ終らないわよ』
 と心の中はアルベルトに対する罵詈雑言で埋め尽くされているが、顔には一欠けらもそんなこと考えていることを出すことはない。
「あの馬鹿はいいんだ。だいたい、女っていうとすぐに甘い顔する。そりゃぁ、男の恋人がいるって言えないってのは分かるけどさ。大切な人がいるんだってきっぱり断ってくれたっていいじゃねぇかよ。それを、デレデレとドイツに遊びに来たからって案内してるんだぜっ!! 俺が会いに行ったってぇのにさ」
 もちろん、そのアルベルトが案内をしていたのはフランソワーズの知り合いである。ドイツを旅行してみたいという彼女にアルベルトを紹介して、案内してあげてと頼んだのは自分だ。
 彼女が恋人と別れたばかりで、その恋人はアルベルトに雰囲気がよく似ていた。
 異国で頼る相手はただ一人、元恋人に似た男ともなれば恋が燃え上がるのは必須だ。しかも、情熱的な彼女はこの人と決めたら、簡単なことでは退かない。恋人がいれば、奪い取るまでというタイプなのである。
 ジェットが来る前日に帰国する予定だったのに、彼女は帰国せずにアルベルトのアパートを訪ねてきたのだ。もちろん、ジェットと鉢合わせになる。フランソワーズに頼まれたこともあって邪険にできずに、そのまま泥沼でとうとうジェットは怒り出してフランソワーズの元に遣って来たのである。どんなにジェットを巡って水面下の争いを半世紀近く続けて来たとしても、ジェットを挟まなければそれなりに良き友人であるのだ。
 仕事の都合上、フランソワーズもドイツに度々行くことがあり、アルベルトに案内をしてもらったこともあるし、仕事でフランソワーズに来たアルベルトにパリの街を案内したこともある。
 しかし、ジェットを挟むと状況は一転するのだ。
 もちろん、フランソワーズはアルベルトという人間を基本的には信頼はしている。もし自分に何かあれば、ジェットを託しても良い相手だと認識は互いにあるのだ。だが、それとは反対に、そんなこと起こってなるものかと、ジェットより先には死なないとそう決めている部分もフランソワーズにはある。
 アルベルトと喧嘩をしたりすれば、ジェットはすぐにフランソワーズの元に遣って来る。
 何故なら、フランソワーズとジェットは苦難を二人で手を取って乗り越えたという絆を持っているからだ。家族の愛情にも似た絆が二人を結びつけていて、ジェットがアルベルトとの恋愛を相談していたのものフランソワーズだったのだ。
 ドイツとフランス、ジェットの飛行能力を使えばたいした距離ではないし、ジェットが最終的に泣きつける場所が自分の胸であるということはフランソワーズにとって何よりも嬉しいことであるのだ。
 別に、ジェットをアルベルトと引き離して、悲しい思いをさせたいわけではない。
 ジェットがアルベルトのことを愛しているというから恋人同士であることを認めているだけなのだ。もしジェットがアルベルトに恋心を抱かなかったとしたら、アルベルトの一方的な感情に発生した関係だとしたら、BG団時代にどんな手段を講じてもスクラップしてやるところだった。
 顔を赤らめながら、恥らいながら、好きなんだ。と告白されてしまった以上、どんなに自分が面白くないと思っている相手でも、応援してやることしか出来ない。
 だから、これくらいの意趣返しはジェットと付き合っている特典だと思ってくれなくては、可愛い弟を取られた姉としては腹の虫が収まらない。
「ごめんなさいね。あたし、そんな人だって知らなくって、ドイツに旅行したいからって言われて軽い気持でアルベルトに案内を頼んだのよ。彼女ドイツ語さっぱりだし、アルベルトならフランス語一応、分かるでしょう?」
「フランは悪くない。悪いのはあの男なんだっ!!」
 ジェットも余程腹を立てているらしい。
 でも、こうして怒っているジェットもとても可愛らしいと言えば、拗ねたように口唇を尖らせるのだろう。でも、決して、怒ったりはしないはずだ。自分がどんな気持を込めて言っている言葉なのかをジェットは良く知っているからだ。
「でも、愛してるんでしょう?」
 とフランソワーズが問い掛けると、ジェットは頬をクロッカスの雌しべのように赤く染めた。そして、困惑したような笑みを口元に乗せて、フランソワーズの問いには答えずに黙ったままクロッカスの花畑を見詰めている。
 フランソワーズも同じように、黙ったままクロッカスの花畑を見詰めている。
 秋の少し冷たいけれども心地良い風が、そんな二人を通り過ぎていく。
 遠くには、『ドン・キホーテ』で有名となった風車がゆったりと回っている。
 時間の概念は薄い風景ではあるけれども、コンクリートの打ちっぱなしの太陽の光すら差し込まないあの地下室とは違う。
 太陽の光が降り注ぎ、その恩恵を受けて綺麗に咲く花が一面にある。二人で見たいと、そう願った光景がここにあった。一度、日本の桜を一緒に見に行ったこともあるけれども、また、今回は違う美しさが其処にはある。
 こんな風景を見る度に、どうしてだかフランソワーズはあの二人っきりの地下での生活を思い出さずにはいられない。いつか、ジェットと共に脱出することだけを願った日々が自然と思い出される。
「なあ、フラン」
 何、とフランソワーズは口を開いたジェットに視線だけで答える。とその瞬間、ジェットのお腹がぐぅーと盛大な音を立てる。
 本人もびっくりしたのか、自分お腹を見詰めてきょとんとしている。フランソワーズのその鳩が豆鉄砲を食らった時のような顔につい吹き出してしまった。更に徐々に顔を真っ赤にするジェットを見ていると笑いが止まらない。
「フランッ!!」
「ああ、ジェット、可笑しい」
 笑いが止まらないフランソワーズに口唇を尖らせるジェットがいる。
 こんなジェットも可愛いのだが、このまま笑い続けていては気の毒だ。彼は見かけとは裏腹に純粋な心を持っている。よもや、自分がこんな腹黒いことを考えている女だとは露にも思ってはいないのだ。
「そろそろ、お昼ね。サフランのリゾットでも食べに行きましょうか」
 フランソワーズは手を差し出すと、ジェットは何も言わずにその手を握り返してくる。来た時と同じ道を辿りながら、二人はクロッカスの花畑の間にある小道をゆっくりと歩いていった。





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