出会い 〜青い山脈シリーズ〜



 そこに壁があるから登ってしまうのだと、自分自身に言い訳をしながらも彼は今日もコンクリートの壁を軽々と乗り越える。
 自宅から学校までの直線距離は10メートル。
 ただし、あくまで障害物があることを無視しての直線距離であり、通学しなくてはならない距離ではないのだ。
 彼の通う高校は、総合的な教育を目的として設立された学園の高等部に在籍している。山を切り開いて作られた学園は一つの都市の様相を呈していた。とにかくだだっ広いのである。
 高等部は彼の自宅に隣接しているという距離にあるのではあるが。登校が可能な門のある場所まで、彼の自宅からひたすら学園の敷地をぐるりと3分の1程度は迂回しなくてはならないのである。
 ちなみに、彼の自宅は学校の西方にあり、門があるのは北側と南、そして東側なのである。
 一番近い南門ですら高校生男子の足でも徒歩5分はかかるのだ。
 毎日、わずかな距離を隔てる壁を見詰めているうちに、これなら乗り越えられるだろうという考えが湧いた。理性ではしてはいけないと理解しているし、壁をわざわざ乗り越えなくてはならないような切羽詰った時間に登校しているわけではない。
 一番遠い南門から登校して、かつ、トイレに行き、ラジオ体操を第一及び第二までこなす時間があるくらいの余裕を見て登校しているのだ。
 まあ、ありていにいえば、衝動だったのである。
 昔からプログラミングされていたかのように、壁を超えろとの強い啓示が彼の脳内に降臨したとでもいう状態だったのである。
 そういうわけで、彼は毎朝、この壁を乗り越えて登校しているのであった。
 2メートル30センチ程度の壁に手を掛けて、懸垂に近い状態で躯を引っ張り上げ、後はひらりと校内に飛び降りるだけだ。
 びわが数本植えられた植え込みを通り抜けると、其処には保健室がある。
 ちらりと保健室を覗くと、赤味のかかっ金髪をした1年生が保健医のジェロニモの相手をしながらコーヒーを飲んでいた。僅かに開いた窓からはコーヒーの良い香りが漂ってくる。
 相変わらず、いい豆を使っているなと思いつつ、保健室をもう一度見ると自分の存在にジェロニが気付いたようである。無口ではあるが、決して口下手ではなく、どの生徒に対しても真摯な姿勢を崩すことのないジェロニモは生徒達から信頼されていた。
 もちろんカウンセリングの資格も持ち合わせていて、生徒達の相談にも応じているのである。
 こっちへ来るかと手招きをしている。
 保健室へは外から直接出入りできるようになっているので、アルベルトは遠慮なく保健室へと入っていった。
 実は、アルベルトも一時期ジェロニモに相談をしていたことがあった。
 壁を見るとついに越えたくなってしまうこの衝動は何であるのが自分で判別できなくて、ジェロニモに相談したという経緯があるのだ。解決したわけではないが、アルベルトはこれが自分なのだという達観することは出来た。別に、それを正したいわけではなく、自分が学校の壁越えに挑みたくなる自分の心理状態について知りたかっただけなのだ。
 それ以来、時折、朝のコーヒーをジェロニモと一緒するようになったのである。
 そのメンバーに新しい一年生が加わったのは、つい数日前のことであった。
 制服のラインの色からすると一年生であろう。
 あいさつ程度はするが、アルベルトが保健室に入ってくるとすぐに奥にある相談室の方へと隠れてしまうのだ。
 下向き加減の首筋と困ったような青い目と、襟足が跳ねている髪型ぐらいしかちゃんと見たとこがない。アルベルトもこの一年生が気になっているのだ。まあ、ジェロニモを慕って、保健室への人の出入りは多々あるけれども、こんなにジェロニモの庇護の元に居る生徒に対して興味を持ったのはアルベルトにしても始めての出来事だった。
「あいつは?」
 ジェロニモに聞いてはみるが、曖昧な笑みを口元に浮かべるだけで何も答えない。こういう口の堅いところが信頼に足る人物であると評価されているのだが。今回ばかりは、とアルベルトは肩を竦める。
 美味しいはずのコーヒーの味も、あの1年生の存在一つで少しばかり落ちたように感じられてしまう。
「笑ってた方がずっとイイのに」
 アルベルトはそうジェロニモにも聞こえないように呟いた。一度だけ彼を見たことがある数人の友人と笑いながら楽しそうに廊下をふざけて走っていたのを風紀委員として注意したことがあった。
 天真爛漫な笑顔に、元気な奴だと注意を促しながらも微笑ましく感じたものだった。
 そんな彼に元気がないのは気に掛かる。
 ずっとそのことが心に引っ掛かっているのだ。
 この感情は何なのだろうか。
 今度、親友のピュンマにでも聞いてみようかとアルベルトはそんなことを考えながらコーヒーを啜った。





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