2月2日 〜青い山脈シリーズ〜



「雪だ……」
 ジョーが来ないかと窓から外を窺っていたジェットは感嘆の声を上げる。
 その声につられたようにフランソワーズがキッチンから出てきて、テーブルの上にマグカップを二つ置く。
「ホント。とっても、寒かったものね。でも、ジョーったら遅いわね」
「ああ」
 座ったらとフランソワーズはジェットを促した。ジェットは窓から離れるのが名残惜しいという雰囲気を漂わせたが、素直にフランソワーズの隣に腰を下ろして、自分の為にテーブルの上に置かれたホットレモネードに手を伸ばした。
 キッチンからはフランソワーズの兄ジャンと、その妻ニーナの声、料理を作る時の音が響いて来ていた。
 懐かしい風景である。
 ジェットも去年の今頃はこの家で暮らしていた。
 高校への入学が決まり、ジェットはジャンに頼んで独立させてもらったのだ。金銭的に問題はなかったけれども、弟のように思っていたジャンは反対した。『勘弁してくれよ。俺だって、健全な青少年なんだから、新婚さんに当てられたらたまらないって』という一言で、ジャンは恋人、もしくは結婚相手が出来るまで年中行事の時には必ず帰ってくることを条件に、ここから歩いて15分程のアパートで一人暮らしすることを許したのだった。
 今日はジェットの誕生日で、その約束通りこの家に帰省しているのである。
「でも、今日のジェットって、とてもご機嫌ね」
 フランソワーズとジェットは姉と弟のように育っている。だから、フランソワーズは一目でジェットの精神状態が分かるのだ。
 ジェットは困ったように目元を赤くすると、フランには叶わないなとそう呟いた。
「教えなさいよ。何があったの?」
 まるで姉弟のように仲良くソファーに座っている二人をジャンはそっと盗み見た。両親を亡くした時、フランソワーズはまだ五歳の子供だった。そのトラウマからあまり笑わない子供になってしまった。
 整った顔立ちをしているだけに、まるで人形のようで、暗闇に浮かぶ彼女の顔が兄である自分ですら怖いと思ったことは何度もあった。
 しかし、ジェットと出会ってからフランソワーズは変わった。
 表情が豊かになっていったのだ。
 そして、フランソワーズにとってもジャンにとってもジェットはなくてはならない人になった。だから、ジェットの母親が亡くなった時に、ジャンは自分の所にジェットを引き取ったのだ。
「ひょっとして、アルベルトのこと」
 茹蛸のように真っ赤になっているジェットは、本当に可愛いとフランソワーズは思う。アルベルトという上級生のことは知っていた。生徒会で一緒だったから知らぬ仲ではないし、入学して早々、学校にあまり来れなくなったジェットを見事に立ち直らせた立役者であるのだ。あの時は本当に何も出来ない自分が情けなくて、どうしようもなくてそれが出来てしまったアルベルトに嫉妬したこともあった。
 でも、ジェットが幸せなら、それで良いと思えるようになったのは本当に最近のことだった。
「もらったんだ」
 セーターの袖口をまくると、細い手首に巻きついている時計が見える。これは見覚えのある時計で、そうあのアルベルトが腕にしていた時計ではなかっただろうか、兄の持っている父親の遺品の時計と良く似ていたからフランソワーズの印象に残っていたのだ。
「これって……」
「うん。アルがしていた時計だよ。ほら、正月に時計が壊れたじゃないか。買い替えようって、アルがしていた時計のデザインが気に入ってたから、似たの探してたんだけど、なかなかなくってさ。そしたら、時計をプレゼントしてくれるって……。でも、こんなに大切な時計をオレにくれるなんて、思わなかったんだ。そこまで、オレのこと……」
 ジェットは愛しそうにその時計のベルトを右手の人差し指で撫でた。
 真新しい時計よりも、大切にしていたものを譲ってくれたことの方がジェットには嬉しかった。それはフランソワーズにもよく分かる。
「よかったわね。大切にしないとね」
「うん」
「だったら、パーティに彼も呼んだらよかったのに」
 フランソワーズがそう言うとジェットは頬をまた上気させて、困ったような顔をし、キッチンをちらりと盗み見してから、こっそりとフランソワーズの耳元で囁いた。
「ジャン兄さんに、アルのことどうやって紹介したらいいか……、そのぉ〜」
 ジェットの危惧を察して、フランソワーズは笑った。実はジャンはフランソワーズ経由でジェットに恋人が出来たことを知っているのだ。そして、何時ジェットが恋人を自分に紹介してくれるのか、ずっと待っている。
 そのことをジェットはもちろん知らない。
「そっか。でも、兄さんは絶対に反対しないわよ」
「どうして?」
 ジェットはそれだけが心配だったのだ。
 アルベルトを好きになったことを後悔はしないし、好きになってよかったと思う。会う度に、好きという気持ちが大きくなっていって、胸いっぱいに幸せで満たされる感じがする。
 でも、アルベルトは男性だ。
 そんな恋愛をジャンが許してくれるのか、そのことでジャンだけでなく、アルベルトやフランソワーズが傷付くのがジェットはイヤだったのだ。
「だって、あたし達の兄さんよ」
 そうフランソワーズは笑う。
 あたしだって、反対しなかったでしょう。という言葉を添えて……。
 その意味を察したジェットは、小さく頷いた。
「ありがと、フラン」
「お礼を言うのはあたし達の方よ。生まれてきてくれてありがとう。そして、お誕生日おめでとう。ジェット」
 そう言うとフランソワーズはジェットを抱き締めた。





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