聖バレンタイン 〜青い山脈シリーズ〜



「はぁ〜」
 ジェットは溜息を吐いて、目の前に置かれている青いリボンでラッピングされた小さな箱を見詰めていた。
 今日は、卒業を控え自由登校となった三年生の全体登校の日でもある。どういうわけかバレンタインデーに合わせて三年生の全体登校があるのは、学校側の心遣いなのか、どうなのかは不明であるが、せっかくのチャンスであるにも関わらずジェットはコレを渡しそびれていた。
 アルベルトの姿を見掛けて渡そうとすると、突然、何処からともなく女生徒が現れて、アルベルトにチョコレートを渡している。女性のみならず男子生徒もアルベルトにチョコレートを渡している。
 そんな光景を何回となく目撃して、渡せずにいるのだ。
 アルベルトとは恋人同士で、体育祭の借り物競争の時に告白されて以来付き合っている。と言っても、クリスマスに子供だましのような口唇を重ねるだけのキスをしただけで、それ以上の進展は全くない。
 もちろん、アルベルトが心変わりしたと疑っているわけでもないのだが、必死でチョコレートを渡そうとしている人達の気持ちが理解できてしまうから、気後れしてしまうのだ。
「せっかく、作ったのにな」
 昨夜、フランソワーズと彼女の義姉ニーナの三人でキッチンに篭もって、チョコレートを作ったのだ。甘い物に目のないジャンの為に大きなチョコレートケーキを、ナッツ入りのチョコレートが好きなジョーの為には、様々な種類のナッツの入ったトリュフを、アルベルトはどんなチョコレートが好きか知らなかったので、コールドチョコレートを作った。
 ニーナとフランソワーズの協力で何とか出来上がった一品だが、渡せずにいる。
 全員登校した三年生達も午前中に授業を終え、帰宅してしまった。
「やっぱ、家まで行こうかな」
 ジェットはアルベルトの家を知っているけれども、未だ訪ねたことはない。祖父と年の離れた弟の三人暮らしだと聞いてはいるが、家というよりも研究所といった面持ちの建物に入るのは聊か躊躇われて、一度も入ったことはないのだ。
 どうしようかと、思いあぐねていた時、保健室の扉がノックされる。
 保健医のジェロニモがどうぞと声を掛けると、失礼しますと礼儀正しく頭を下げてアルベルトが入って来た。
「グレート先生が来年の新入生の件で打ち合わせしたいので、職員室まで来てくれないかということですが……」
 ジェロニモはその巨躯からは想像もつかない軽快な動作で立ち上がりながら、分かったと答えると、ジェットの頭を軽くぽんぽんと撫でて何事もなかったかのように出て行った。
 アルベルトはジェロニモを見送ってから、窓際の椅子に座っているジェットの傍まで歩いて来る。
「久しぶりだな」
「うん」
 二人っきりで会うのは久しぶりだ。
 メールで日に何度かやり取りはしているけれども、電話で話すわけではないし、週末毎にデートするわけでもない。受験生であるアルベルトの邪魔をしてはいけないと、ジェットはわざと週末にアルバイトを入れていた。
 誕生日にジェットの住んでいるアパートまでアルベルトが訪ねて来てくれた時、以来である。
「午前中で終わりだったんだろう?」
「ああ、生徒会の都合でな」
 元生徒会役員の彼が何やかや、その手の仕事で残っているのは不思議なことではない。けれども、仕事にかこつけて下校しようとしなかったのには理由があるのだ。実はアルベルトは、ジェットがチョコレートをくれるのを今か今かと待ち続けていたのだ。
 だからわざとジェットの目のつきやすい場所で、一人になっていたのだが、やって来るのはジェットではない人達ばかりで、正直、困っていたところだった。
「ジェットは、帰らないのか?」
「あっ、うん」
 ジェットは返事を濁して、窓枠に置かれた小さな包みに視線をちらりと流した。
 千載一遇のチャンスだ。
 これを逃したら、もう渡す機会はないかもしれない。
 ジェットはドキドキと鳴る心臓を宥めながら、立ち上がった。その勢いで椅子ががたんと倒れる。
「……」
 凄い勢いで包みを目の前に差し出されたアルベルトは、つい受け取ってしまっていた。
 ジェットは顔を真っ赤にしたままそっぽを向いて、倒れた椅子を元に戻している。
「もらっていいのか」
 後ろを向いているけれども、首筋が真っ赤になっている。
 包みを見れば、これが手作りであることは一目瞭然だ。それだけで、どんなに一生懸命自分の為にこれを用意してくれたかが伝わってくる。
「ありがとう」
 アルベルトは、その包みに込められた心までもを大切に受け止める。
「正直、貰えないかって……、不安だった」
「でも、沢山……もらってたじゃないか」
 ジェットは背中を向けたままぽつりと呟く。やはり、ジェットは自分にこれを渡す為に様子を窺ってくれていたのだ。嬉しくて飛び上がりたいところをアルベルトはじっと我慢する。
「ジェットに貰わなかったら、意味ないじゃないか。だって、俺達、恋人同士なんだろ?」
 その台詞に更にジェットの首筋が真っ赤になる。
「一緒に、食べないか。コーヒーもちょうど出来たみたいだし」
 とアルベルトが視線を向けた先には、コーヒーメーカーがごぼごぼと音を立てている。
 ジェロニモが生徒から貰ったチョコレートを茶菓子にコーヒーでもと、元気のないジェットを誘ってくれていたのだ。
「あ、うん。コーヒーと一緒に食べれるようにって作ったんだ。用意するよ」
 ジェットは小さな声でそう言うと、コーヒーメーカーの所に逃げるように早足で歩いていった。
「ジェット、ありがとう。本当に嬉しいよ」
 アルベルトの言葉にジェットはほんのりと頬を染めて、嬉しそうに笑った。
 そして、アルベルトと自分専用のマグカップにコーヒーを注ぐと、照れ隠しのように乱暴にアルベルトの前にコーヒーを置いた。
「だったら、残さず、食えよ」
「ああ、でも、足らないと思うぞ」
「甘いもの、好きなんだ」
「ああ、ジェットって名前のつく甘いもんならなんでも好物だな」
 その意味を察したジェットは、赤味を残した頬をもう一度、上気させる。
「幾らでも、食わせてやるよ」
 そう言って目を瞑ったジェットの口唇にアルベルトは、自らの口唇が僅かに触れさせる。
「ご馳走様」





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