構築された笑み



 朝食後、テレビの電源を入れ、ニュース番組にチャンネルを合わせる。アナウンサーが抑揚の少ない口調でニュースを読み上げているのをBGMにPCを立ち上げ、インターネット上でニュースをチェックする。
 それをしたからどうというわけではないのだが、BG団を逃れてからのアルベルトの習慣であった。アルベルトは自分が情報を抑制、制御された世界で生活していたという経験から、情報を自分で取得し、そして、自分で判断をするということは自由を得た人間のすべき義務であると思っている節があるのだ。
 それはカナダでジェットと共に暮らし始めてからも変わらぬ習慣であった。
 部屋の中には、コーヒーとベーコンの焼いた匂いが残っている。だいたい20分程度をニュースのチェックに時間を費やすのである。彼の職業と全く関係のないことだとしても、それはそれ、これはこれであるのだ。
 紛争、テロと聞くとどうしても眉間の皺が深くなる。
 兵器として開発された自分達であるからこそ、その手の話題には敏感になる。つい、BG団絡みかとついそんな思考が逡巡してしまうのも、ある意味思考的習慣なのかもしれないとアルベルトは苦笑した。
 BG団は滅びたはずだ。
 いや厳密にBG団というのは名前の通り幽霊で実体は伴わないものであった。大まかにいってしまえば、とある経済団体の兵器を開発する機関の一つであった外郭組織がBG団であり、時流に乗り成長を遂げ、本体であるところの経済団体すらも凌駕する力をつけたということであった。
 しかし、時の流れはBG団に味方しなかった。
 戦争が儲かる時代は終ったのだ。
 莫大な負債を抱え込むのが現代の戦争の特徴なのである。
 時代の流れと00ナンバー達の妨害のおかげで弱体化していたBG団を最終的に完膚なきまでに叩きのめしたのは、BG団の本体であったはずの経済団体であった。
 しかし、地球には様々な意味で考えを持つ人達や国家があり、独裁者が国家を動かしている場合もあるし、狂信的な団体がテロを行なうこともある。
 自分達が平和の敵だと考えていたBG団が滅びたとしても、地上に紛争の種は尽きることはなかった。
 最初は、何の為に戦ったのかと随分と悩む時期もなくもなかったけれども、今では、自分達の為の戦いであったとそう結論づけられるようにはなった。
 地上で起こる紛争や事件、テロにも聊か冷静な目で見られる自分がいる。
 ニュースをチェックした後に、メールをチェックする。
 フリーメールには幾つかのダイレクトメールが、00ナンバー同士で連絡を取り合うアドレスにはフランソワーズと、イワン、そしてグレートからのメールが届いていた。先日、二人の同棲祝いとして送ったフランス人形用の着替えの洋服が出来上がったので、後日送付するという内容のものであった。イワンからはカナダの国立図書館が所蔵しているとある文献について調べて欲しいという依頼で、グレートからはかねがね彼が欲しがっていた本を仕事で出掛けた先の古本屋で偶然見つけ、アルベルトが購入して送ったのが届いたとの知らせとそれに対する礼が述べられていた。
 こうした仲間達とはたわいのないやり取りを続けている。
「ジェット、フランソワーズからまた荷物が届くそうだ」
 ソファに座り雑誌をめくっているジェットにそう声を掛ける。分かったと無愛想な返事だけの反応だがアルベルトは気にしなかった。その顔は何一つ表情がなく、まるで、フランソワーズが送ってきたフランス人形のようであった。
 少なくとも、仲間達の前ではジェットはそんな顔をしない。
 いつも笑っていた。
 どんなに辛い苦しい戦いの中にあって、ジェットは一度もその笑顔の火を絶やすことはなく、その笑顔が00ナンバー達を支える一つの要因でもあった。
 だから、誰もがジェットはいつも笑っているものであると、恋人として躯の関係もあるアルベルトすら一緒に暮らし始めるまでそう思い込んでいたのだ。
 しかし、それは大きな間違いで、ジェットいや002という特異な存在が彼の笑顔の意味を勘違いさせていたに過ぎなかった。
 アルベルトはそう考えると途端にジェットに触れたくなる。
 PCの前から離れてジェットが座っているソファに腰を下ろした。表情のないジェットの顔がアルベルトに向けられる。
 少し前まではこの表情のない顔を見ると不安にかられたものであるのだが、これがジェットの素顔なのだと知ると反対に表情があるジェットがまるで人形のように見えてしまう。特に二人しかいない場所では、反対にそう感じられるようになった。
「ジェット」
 手を伸ばすと、その痩躯は抗うことなくアルベルトのウデノカに収まる。
 どうしたのと、青い瞳だけが僅かに動き、それがジェットの心をアルベルトに伝えて寄越すのだ。
 ジェットは元来、感情が薄い人間なのである。
 喜怒哀楽はあるし、激情型だと思わせる部分はあるが、人が持っている感情の種類という点でジェットはあまりにも欠落している部分が多過ぎた。いや、だからこそ過酷な実験と改造の日々を生き延びてこられたということは否定できない。
 他人にどのように接したらよいのか知らない不器用な男で、フランソワーズと出会い彼女に対してどうしてよいのかわからずに、笑って見せたら、彼女が喜んだというだけであったのだ。
 それ以来、彼は他人に対して笑えばよいのだと学習したに過ぎなく、それがいつも笑っているジェットを作り上げた。
 しかし、本人の心が笑っていたかといえばそれは全く違うのだ。
 反対に笑顔の時に限って何一つ感情が発露していない場合が多い。
 更に、そんなジェットに拍車をかけたのが、ある実験であった。
  古い実験体であるジェットは様々な実験や開発の最初の被験者であることが多くあった。サイボーグに戦闘だけでなく性的な能力をも持たせるという実験の白羽の矢がたったのもやはりジェットであった。
 女性よりも美しい肌やしなやかな躯を持つサイボーグ。
 人間の外見と人間ではない美しさをBG団は追求したのである。
 その結果、ジェットの外見はいよいよ人形めいたものになり、ますます表情を上手く出せなくなっていった。ジェットの顔面の人工筋肉は他のメンバーよりも少なく、笑うという行為一つにしたとしても、意識して顔面の筋肉を動かさなければ出来ないのである。
 仲間がいれば、自分の笑顔を喜んでくれる。だから笑うことも出来た。
 けれども一緒に暮らし始めて以来、アルベルトに対しては偽りの笑顔を向けたくないとの感情が次第に一緒大きくなるにつれ、無理に笑うことが出来なくなった。
 最初、アルベルトは心配をした。
 一緒に暮らし始めて互いの粗が見えてきて、自分のことを嫌いになったのかとジェットに詰め寄った。
 でも、無理に笑えなかった。
 そして、自分の感情を上手くアルベルトに伝えられなかった。
 そんな時だった。
 まるで、その気持ちを見透かしたようにフランソワーズから人形が送られてきた時、ジェットは感謝すら覚えたのである。
 その人形の存在によりジェットは自らの心を偽ることなくアルベルトに伝えることが出来たのである。偽りの表情は出来ない。表情を作ることが自分とっては苦痛なのだ。無表情であることが自分とっては一番リラックスしている状態なのだと。
 そう人形のように……。
「アル」
 優しい抱擁はジェットを安心させてくれる。
 愛しい男は自分とは反対に表情豊かなのであるけれども、戦い於いては無表情であろうとする。自分とは真逆なのである。普段は、よく笑い、怒り、不機嫌になったりと忙しい。顔の筋肉が痛くならないものだとジェットが感心してしまう程であるのだ。しかし、彼のそれはとても好ましいと思うし、そんな彼が好きでたまらない。
 彼の顔を見ると、とても困った顔をしている。
 ジェットのことを理解しつつあっても、感情が伴わない部分があるのだ。
「オレは、とても幸せだよ。心配しないで」
 そう言って、本人に自覚はないのだろう歪んだ頬の筋肉を優しく掌でさする。
「ジェット」
 だって、何時だったかグレートが言っていただろうとジェットは続ける。
 人形劇や仮面劇に使われる仮面の表情は全く変わらない。であるにもかかわらず、観客や観衆は、動かないはずの表情からそのキャラクターの感情を実に豊かに受け止める。すなわち、表情だけで感情を伝えるわけではないのだ。
 躯の動きや、台詞の口調、音響や照明それら全てがキャラクターの感情を表していて、動かないはずの顔の表情が動いたように錯覚するのである。
 つまり、例え、笑うことが出来なくたって、自分は躯や言葉で彼に対する感情を伝えているのだから、分かって欲しいとそう訴える。
「わかっているさ」
 アルベルトはまだ困った顔をしている。
「それがお前ということも理解できている。お前の感情はちゃんと俺に伝わってるし、俺はお前に無理強いをしたいわけでも、無理をさせたいわけでもない。お前が笑うことにどれだけの労力が必要なのかもちゃんとわかっている。顔が笑っていなくとも瞳が笑っていることを感じることが出来る」
 時折襲う、そんな様々な葛藤に苦悩するアルベルトがジェットは好きだ。そんな姿のアルベルトがセクシーだとすら思えるのだ。こうして、様々なことに対して心を動かし、泣き、笑える、彼がどんなに愛しい存在であるのか、それはアルベルトには一生伝わらないだろう。
 自分は、アルベルトがニュースを見て心を痛めるような紛争やテロなどに正直興味も感慨も湧かない。どうだってよいことなのである。二人の生活に支障をきたすような出来事ではない限り、現実だとは思えなくて、黙殺してしたとしても何も感じたりはしない。
 けれども、アルベルトは悩む。
 それは彼がいかに感情豊かな人間であるかという証でもある。
 貧相で幾つものパーツが欠けた自分の心を包み込む、豊かな心を持ち主だからこそ、ジェットはアルベルトと一緒に居て安心できるのである。
 生きていると実感できるのだ。
 アルベルトの感情の波動が心地良くて、どんなにとげとげしい感情であったとしても癒される。ドラマの強引なストーリー展開にすら驚く彼を見ていると嬉しくなるのである。
 笑えないのではなく、偽っていると自覚したまま笑いたくはないという自分の我侭を戸惑いながらも受け止めてくれるアルベルトが好きでたまらない。
「嘘と虚栄に満ちた世の中で、お前は俺に対して偽らないでいてくれるということだと分かっている」
 そう言って、ジェットの頬に触れるアルベルトの手は鋼鉄の手が剥き出しになったままだし、第二ボタンまではだけたシャツからは鋼鉄の皮膚が見え隠れしている。またアルベルトもジェットと二人で居る時は自分の躯を故意に隠すような真似はしたくはないと、そう考えていたのだ。
 それが銀河の彼方から帰還した後に、再改造を受けたアルベルトの一つの答えだった。
「そう、あんたも、オレの前ではその躯を隠さない」
 ジェットはアルベルトの頬に触れてしないもう一方の手で鋼鉄の手を自分の頬との間に優しく挟み込んだ。
「ああ、互いに虚栄など……」
「そう、偽りも必要ない。俺もあんたも」
 そうだなとアルベルトは呼気と共に呟いた。
 ジェットは相変わらず表情を変えないまま、アルベルトの口唇に一つキスを落とす。
 アルベルトは、そんなジェットにまた困った表情を寄越すと、左手をジェットの背中に回して離すまいとしっかりと抱き締めた。
 無理に笑う男と、無理に笑わない男、二人は互いに虚栄で飾ることなくありのままで居られる空間があることに心から感謝していた。
 どんな悪しき出来事が起こる世界だとしても、それがあるということだけで生きていても悪くないとそう思えるものだと…・・・。そんな想いで互いの存在を確かめ合うように長い時間、抱き合っていた。





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