幸福地獄



 ジェットは鳴り続ける三つの目覚まし時計のうち一つに手を伸ばした。
 しかし残りの目覚まし時計は鳴り続けている。次に近い位置で鳴っている目覚まし時計は背伸びをしないと届かない位置に置かれているのだ。肩から胸の辺りまで毛布から露出させて二つ目の目覚ましを止める。
 最後の目覚ましは足元に置かれていた。
 上体を起こし、前屈をする要領で手を伸ばしてようやく三つの目覚ましを止めた。
 ぼんやりとベッド上に座り、がしがしと髪をかく。
 その身体には何一つ身につけていない。
 けれども、寒くはないのだ。部屋には既に暖房が入っていて、裸でいるにはやや肌寒いが耐えられない程寒いわけではない。
「あ〜あ、まただ」
 ジェットは頭を抱え込んで、新婚三ヶ月目の朝を迎えた。
 しかし、時計の針は朝という時間にはやや遅い時間を示していた、後一時間もすればお昼になる。
 姉であるフランソワーズの会社の同僚であるアルベルトと結婚したのは三ヶ月前のことであった。早くに両親を亡くしたジェットは姉のフランソワーズと二人で手を取り合って頑張って生きてきたからこそ、フランソワーズはこの結婚を喜んでくれた。
 何よりも自分が幸せになることが今までフランソワーズが自分にしてくれたことに対する恩返しだと、結婚してジェットは初めて気付いたのだ。
 確かに、この結婚生活は幸せすぎるくらいだ。
 夫であるアルベルトは何よりもジェットを大切にしてくれる。そのことに対しては何の不満もないし、ハンサムな外見とは裏腹に恋愛に対して真面目で結婚してからも変わらぬ愛情をジェットに注いでくれていた。
 しかし、その行き過ぎた愛情に困ることもあるのだ。
 夜の生活である。
 元々、睡眠を十分にとらなければならない体質であるジェットは、その派手な容姿とは裏腹に夜が早い。結婚以前にしていたモデルという仕事柄眠るのも仕事のうちの一つだといって翌日が休みでもない限りは夜遊びも謹んで真面目な生活をしていた。しかし、結婚して以来、夜眠れないのだ。
 もちろん病気なのではなく、アルベルトが求めてくるからなのである。
 毎夜のように気絶するまで求められて、気が付くとお昼に近い時間、下手をすると夕方になっていることも少なくはない。
 昨夜もベッドで先に休んでいたところを求められ、その後、洗ってやるからと風呂場に運ばれボディソープの泡塗れの状態でアルベルトを再び受け入れたところまで記憶しているが、その後の記憶は全くない。裸ではあるものの躯は綺麗になっていることから、アルベルトが洗って、そしてベッドに運んでくれた上、目覚まし時計セットし直してくれていたということになる。
 本当は毎朝、朝食を作ってあげて玄関でいってらっしゃいというのがジェットの結婚生活に対する夢だったのだ。
 幼少の頃、朝一緒に通学していた友達の家に呼びに行くと、お母さんがお父さんを見送っている姿に遭遇していた。そんな記憶のほとんどないジェットは羨ましいと思ったし、自分が家庭を持ったら絶対にそうしようと決めていたのに、このような状態では朝も起きられない。
 ジェットはぼんやりした頭をすっきりさせるべく風呂場へと向かう。
 アルベルトが目覚ましをセットし直してくれていたのには理由があるのだ。
 二人は、アルベルトの父親であるギルモア博士と後妻のジョーとそして随分と年下の弟イワンと大きな広い二世帯住宅に住んでいる。といっても、完全分離型の二世帯住宅なのでわずらわしいことはないのだが、舅であるギルモアは息子の嫁をいたく気に入っていて、やたらと食事に誘いたがるのである。
 息子が仕事でいない間、一人の食事も味気ないから昼食を食べて来いというのである。しかし、毎日というのも何なので、月曜日と金曜日の昼食は階下の親世帯で一緒に食べることになっているのだ。
 舅は優しい。どんなにか自分を気遣ってくれているか分かる。
 しかし、自分とあまり年の変わらない姑は苦手である。
 家事も自分とは比べものにならないほどに上手い。それはご馳走になる昼食を見れば分かることだし、掃除も洗濯も熟練した主婦に引けをとらないほどであろう。
 それに、全く知らない間柄でもなかった。
 ジョーも結婚する以前はフランソワーズやアルベルトと同じ会社で働いていたのだ。
 数度、フランソワーズを通して会ったことがあったけれども、至極仲が良いというわけではない。単なる顔見知り程度という間柄である。
 やんわりとした口調というオブラートに包まれた嫌味に片身が狭い思いをしてしまうことも少なくないのだ。今日も、寝坊したことを言われるんだろうなと、ジェットはぼんやりと考える。
 でも、そんなこと幸せな結婚生活から考えればスパイス程度にしか過ぎないのだろう。
 ジェットはボタンを押すだけに設定されたコーヒーメーカーを見て思う。これもアルベルトが仕事に出掛ける前にセットしておいてくれたのだろう。
 幸せすぎて怖いくらいだ。
 夢に描いていた結婚生活よりも、遥かに自分は大切にされていて、愛されていて、今の自分の生活が信じられない。
 ただ、アルベルトに求められ過ぎることが贅沢な悩みなのかもしれない。抱き締められて、余すことなくキスをされて、愛を囁かれて……。
 ジェットは昨夜、耳元で囁かれた愛の言葉をふいに思い出し、全身を真っ赤に染めると『馬鹿ッ!!』と小さく呟いて風呂場に飛び込んだ。





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