あの夜よ永遠に



『約束だぜ』

『ええ、約束よ』

『ああ、約束だ』




 ゆっくりと目を開けると其処は薄暗い部屋だった。
 非常灯は点いていたけれども、どうにか足元が確認出来るだけに過ぎない。剥き出しの肩が寒くて掌で擦ると、まるで魔法のように毛布が掛けられる。
 ゆっくりとそちらに視線を移すと、ぼんやりとした視界の中に一人の男の姿が見えた。
 目を凝らしてみるが、霞がかかったようで男か女かを見分けるのがやっとであった。しかし、この部屋には自分と003、そして004しか居ない。
 003でないとすれば、残りは004しかいない。
 003がこの距離にいたのなら迷わず抱き締めてくれただろうが、目の前の人物は毛布を掛けてくれるが抱き締めてはくれない。
 その行動から考えても、相手は004しかいない。
「004なのか」
 分かっていながらも、確認してしまう。
 004は驚いたのか一人分の距離を空けて横たえていた躯を起こした。おそらくは、まじまじと自分を見詰めているのだろう。その姿は見えなくとも感覚がそう伝えてくる。
「見えないのか」
「うん。ぼんやりとしか。この距離だったら、顔も見えない」
 002が困ったように笑うと、004の手が伸ばされ頬に触れた。
 それ以上、何も言わない。
 002が連れ出されたのは三日前のことだった。三時間程前にようやく戻って来て、入れ違いに003が連れて行かれた。その時から002の意識は朦朧としているようで、003と入れ違いになったことすら分からないようだった。002を引きずってきた兵士から力の入らぬ躯を受け取ると、三人で一緒に眠っているベッドの上に寝かせた。それからずっと002の様子を窺っている004がいたのだった。
 001という仲間もいるが、その能力から彼は隔離された部屋から出ることは叶わない。そして、彼等もこの地下深いコンクリートが打ちっぱなしになった壁の中から出られるのは、改造手術か、訓練か、あるいは実験の時だけである。
 それ以外の時間の全てを窓のないこの部屋で過ごさなくてはならない。
 それでも、狂わずに済んでいるのは、同じ環境に置かれた仲間の存在があるからで、彼等は強制的に互いを支えなくてはならない状態にあった。
 サイボーグにされる以前の自分が、サイボーグにされる以前の002と出会っていたとしたらおそらく好ましい人物だと思わなかったし、友人にすらなろうとは思わなかっただろう。
 しかし、この状況ではそうは言ってはいられなかった。
 其処には、互いの存在しかなく、選択の余地は皆無であったのだ。
「そうか。だったら、寝てろ。野郎の顔見ても面白くないだろう。003はまだ戻らない。戻った時にお前が元気になっていれば、彼女も安心するだろう」
「ああ」
 しかし002には彼女が簡単には戻ってこないということが分かっていた。自分の視力が落ちているのは、彼女の能力アップの為の実験であったことも知っている。だから、改造が終わり、テストが終了するまでは戻らないだろうということくらいは予測できる。
 けれども、004に言ったとしても仕方がないことだ。
 確証があるわけでなく、今までの体験から自分はそう思っただけのことなのだ。
 002は最も古くから稼動しているということから、新しいサイボーグの機能をテストするのに一番都合のよい素体でもあった。だから、003や004の機能向上の為のテストを幾つも経験している。
「でも、寒いな」
「その格好ではな」
 と指摘された通りに002は何も身につけてはいなかった。
 おそらく、この姿で部屋に戻されたに違いないのだ。辺りに洋服は見当たらない。必要ないというわけなのかと、小さく溜息を吐いた。
「着替えは、明日の朝、持って来るらしい」
「ああ」
 眠っている間に何をされたのか分かったものじゃない。
 過去にも数度、検査だ実験だと眠らされ、この部屋に戻ってきてからシャワーを浴びていると、自分のものが付着したとは考えられないような場所から男性の精液が見付かったこともある。
 裸で戻ってきたということは、その可能性が高いということを示唆していた。
 意識がある時に、オモチャにされるならまだ良いが、意識のない間というのは性質が悪い。されたのか、どうなのか悩むことも少なからずあるからだ。
 しかし、そんな扱いにも不思議と慣れてしまった。
 生身の人間でなくなった今、貞操など気にすることすら無駄なことだったし、生身であった頃だって貞操という言葉とは無縁な日常を送っていた。しかし、金を得る為に躯を売っていた方が今の自分よりずっとまともな気がする。
「大丈夫か」
 黙りこんでしまった002を心配したのか、004が声を掛けてくる。
「大丈夫」
「寒いなら、ほら」
 004はベッドの上に散らばっている毛布を一枚002に掛けてくれる。
「まだ寒いのか」
 死神、冷酷な殺し屋、重戦車などと称される004であるが、彼はとても優しい。表情を変えずに敵を撃ち殺す人間だとは到底信じられないくらい自分や003に向ける瞳には労わりという感情が込められているのだ。
「いや、大丈夫」
 002は目を閉じた。
 けれども、004がゆっくりと自分の傍に移動したことは音で分かる。毛布の上にそうっと手が置かれて、ゆっくりとしたリズムで軽く宥めるかのように002の背中を叩いてくれる。
 そのリズムに合わせて002の意識は深く眠りへと舞い降りていった。





 ゆっくりと目を覚ますと、既に夜だった。
 どうして、こんなに暗い中に居るのだろうと、ふと自分の行動を思い返してみた。
 どうにか仕事を終えてアパートに戻り、クリスマスのプレゼントを抱えてNYを飛び立った。
 日本目指して太平洋を横断し、ギルモア邸に辿り着いたのは24日のお昼に近い時間であった。そのままツリーの飾りつけを手伝い、アルベルトと買出しに出掛け、夜明け近くまで皆で騒いだ記憶はある。
 時差の都合を考慮に入れると二日近く自分は眠っていないことになるから、おそらく一日眠って過ごしてしまったのだろう。
 久しぶりに仲間達に会えて楽しかった。馬鹿を言い合って、ゲームをして、じゃれあって、酒を呑んで、笑って、半年分の感情を使い果たしてしまった感がジェットにはあった。
 最初は戦いのない中で仲間達と集まり、騒いで楽しむということ自体に慣れなくて、ぎこちなかった部分もあったけれども、今は何よりの楽しみになっている。
 一人一人の笑顔を思い出してジェットは幸せな気持ちになっていた。
 フランソワーズの笑顔を思い出した時に、あまりにもその笑顔がリアルでジェットはベッドから跳ね起きた。肩に掛かっていた毛布がするりと落ち、ジェットの白い肌を露にしたけれども、寒くはなかった。
『ジェット、こっちにいらっしゃい』
 そのフランソワーズはジェットの脳内のフランソワーズではなく、ホンモノの彼女であった。確か、ここはアルベルトの部屋で、パーティーの後二人で戻ってきて、盛り上った勢いで服を脱ぎベッドインしたまでの記憶しかない。
 下半身に残る感触から、おそらく二人とも裸に近い姿で抱き合ったまま眠ってしまったのだろう。記憶を探るが、その部分は何処を引っ掻き回しても出てこない。
『マドモアゼルがいるんだ。せめて毛布くらい羽織って来いよ』
 とフランソワーズの隣に座っているアルベルトがそう言う。
 どうして、二人がアルベルトの部屋で、しかも電気を消して、窓こそ開いてはいないけれども、カーテンを開けて月明かりを頼りにした世界で何をしているのか分からなかった。
 言われるままに毛布を素肌に羽織った格好で二人の傍に座った。ちょうど三人で丸くなった形になる。
 その輪の中には、中央にサンタクロースの形をした蝋燭が一本だけ飾られている小さな直径10センチ程度のケーキがあり、ケーキの隣には紙コップとシャンパンが置かれていた。
 しかも、それは床の上に置かれている。
 アルベルトの部屋には小さいがテーブルもあるのに、わざわざ床の上を選んでいる。
 何処かで見た光景だ。
 と、ジェットは思い出した。
 BG団に捉えられていた頃、まだ、第一世代と呼ばれる四人のサイボーグしか稼動していなかった時代。彼等は地下にある部屋で時を過ごした。
 社会の情勢はもちろんのこと、外界の情報も与えられずに、コンクリートの剥き出しになった部屋で三人は肩を寄せ合って生き抜いていた。
 フランソワーズという女性が居るにもかかわらず、三人一緒の部屋に入れられていた。ベッドももちろん三人分あったわけではなく、ダブルベッドを交代で使うか、時には三人で身を寄せ合って眠っていたのだ。
 其処で暮らしていた時に、三人で始めて祝ったクリスマスと同じ風景だ。
 もちろん、ここはギルモア邸でBG団のサイボーグ研究所ではないし、欲しいものは手に入るし、ケーキもシャンパンも、自分達で稼いだ金で買うことが出来る自由がある。
 でも、辛い時代の中にあって、あの初めてのクリスマスの夜は深くジェットの胸に焼き付いているのだ。
 忘れたくとも忘れられない。
 ようやく三人で掻き集めたアイテムでの小さなささやかな、パーティーだった。
「フラン?」
「だって、自由になってから、三人で過ごせる初めてのクリスマスでしょう。色々と考えたんだけどね。やっぱり、こうするのが一番、あたし達らしいかなって、思ったのよ」
 アルベルトは黙ったまま頷いている。
 二人とも同じキモチなのだろう。
 ジェットは二人の思い遣りが嬉しくてたまらなかった。
「うん、嬉しい。来年も、再来年も三人で揃ったら、絶対、こうやってクリスマスをしような。豪華なご馳走よりも、大きなケーキよりも、どんなプレゼントよりも、フランとアルが傍にいてくれることが何よりも、俺にとっては……」
「おお、ジェット」
 嬉しさに顔が歪んで、泣きそうになっているフランソワーズをジェットは手を伸ばして抱き寄せた。そんな二人をアルベルトが優しく両腕の中に保護するかのように手を回して肩を抱いてくれる。
「ああ、毎年じゃなくても、出来る時はこうして三人でクリスマスをしよう」
「そうね。さあ、アルベルト、蝋燭に火を灯して頂戴」
 アルベルトは小さなケーキの中央に置かれたサンタクロースの形をした蝋燭に火を灯した。柔らかな光りがぼんやりと部屋に広がる。
 三人はじっとその火を見詰めている。
 何もなくとも、ささやかというにも語弊があるクリスマス。でも、三人はとても幸せだった。ナニモノにも変えがたい大切な家族以上の仲間の存在を確認できたからだ。もう二度と手に入れることは一生無理だと思っていた人としての大切な絆がここには存在している。
 サンタの帽子が半分溶けた頃に、フランソワーズとアルベルトはジェットに火を消すように促した。
 ジェットは、大きく息を吸い込んで、あの夜と同じようにその火を消したのだった。





『あれ』
 ジェットが眠たい目を擦りながら上体を起こすと、隣りではアルベルトがベッド脇に置かれたテーブルライトの明かりを頼りに本を読んでいた。
「起こしてしまったか」
『ううん。オレ』
 アルベルトはサイドテーブルに本を置くとライトの明かりを落とした。
 そして、半分寝惚けているようなジェットの頭を優しく撫でると、その躯を抱き込むようにしてベッドに横になる。
 ジェットもアルベルトに釣られる形で再び、ベッドに横になった。
「クリスマスで騒いだから、疲れたんだ。仕事が終わって直行したから眠る暇もなかったんだろう。ゆっくりと休むといい。まだ、朝までは間がある」
『うん』
 大人の男二人には決して広くはないスペースだ。辛うじて互いがベッドから落ちない程度の広さしかないけれども、この広さが二人には抱き合って眠る為の言い訳にもなっている部分がなくはない。
 一人で眠った方が広くて良いけれども、やはり寒い気がする。何も身につけていないのに、アルベルトに抱き締められているというだけで、とても温かく感じられる。寒くないようにと肩口を塞ぐようにして、しっかりと毛布の上からアルベルトはジェットを抱き締めた。
 そして、背中をぽんぽんとリズミカルに叩いてくれる。
「なあ、昔……」
「何だ?」
「何でも、ない」
 ジェットは瞼を閉じた。
 昔、こうしてもらったことがある。
 BG団に居た頃、自由も何もないあの部屋で眠りに落ちようとしている自分の背中を眠りに落ちるまで叩き続けてくれたことを、ふと思い出した。いつもしてくれている仕草なのだけれども、今夜だけはそんなことを思い出す。
 そう、あれは、初めて三人でクリスマスパーティーをした夜の少し前の出来事だったような気がする。フランソワーズが居ない部屋で心細かった自分をアルベルトのその動作は癒してくれた。
「おやすみ。ジェット」
 優しい声が耳朶から潜り込んでくるだけで、幸せになれる。
 ああ、あのクリスマスパーティーの夢は夢ではなかったのだろう。何処か満たされたアルベルトの表情とテーブルに置かれたシャンパンの空き瓶がそれを証明している。
「おやすみ」
 ジェットはそう答えると、再び、幸せな眠りへと落ちていく。
 そう、アレは夢じゃなかったのだ。
 昔と同じように、三人でケーキを囲んだささやかなクリスマスパーティーは、今も続いている。三人でケーキを分け合い、シャンパンを分け合い、そしてささやかな幸せを分け合った。
 世界で一番素敵なクリスマスなのかもしれない。
 きっと、来年もあの夜と同じクリスマスが迎えられますようにと、ジェットは夢の中でそう願っていた。





『来年、再来年も、三人が生きている間は、ずっと三人のクリスマスをしようぜ』


『いいえ、一人でも生き残った人間もクリスマスをするのよ。互いのことを忘れないように……』


『ああ、そうしよう。俺達全員がこの世から消えるその日まで……』





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