誕生日詐称の事情



 どうするか??
 と、俺はドイツ産の使い古されたタイプライターの前で唸っていた。
 ああ、自己紹介をせねば、礼儀正しく、名前を聞く前に名乗れと祖母に幼少の砌より厳しく躾けられたのだ。三つ子の魂百までもとの言葉もあるように礼儀正しくしていれば、どんな状況でも何とかなるものなのだ。
 俺の名前は高橋雄一、今年で25歳になる。
 今の俺はまさに、そういう状態なのである。
 数年前の俺は、死ぬことしか考えていなかった。毎日、毎日、日本国男子として如何に美しく散ることしか考えられない日々であったが、運命は複雑怪奇なもので、死にたくないと悲痛な顔をしていた戦友達は海の藻屑と消え、死に対しての恐怖心が薄かった自分だけが生き残ってしまった。
 ああ、あの日。
 俺達が最後の夜を過ごしたあの場所では、数日前にあの世に旅立っていった戦友達が迎えに来たかのように蛍がちらりほらりと漂うのが見られた。
 終戦間近の日本は物資が不足していて、俺達の特攻機は木材で出来ていたのだ。
 それが俺の命を救う原因だった。
 アメリカの戦艦目掛けて特攻していった俺達だったが、俺の機だけが突然、失速して海に落ちてしまった。そして、木製の特攻機は海面に叩きつけられた衝撃であえなく大破し、その一部である木片に捕まって戦況を遠くから見ているしか出来なかった。
 それが、俺の中で何かを変えてしまった。
 アメリカの船隊は悠々と隊列を崩すことなく襲撃を退け、体当たり寸前に俺と同様墜落された連中を回収するとあっという間に姿を消した。助けてもらいたいわけではなかったが、助かりたくないわけでもなかった。
 でも、ただ、ぼんやりと目の前の戦いを見ていることしか俺には出来なかった。
 数日間、木片に捕まったまま海を漂流し、死ぬのかと意識が途絶えた。
 そして、次に目を開けた時には人の良さそうな恩人に助けられていた。
 後で分かったことなのだが、俺は至極運が良く、あと数メートル墜落した場所が違っていたらここの島に流れ着くことはなかった。其処には海流があり、その海流に上手く乗った俺は、この島の海岸に打ち上げられて、俺と同世代の小男に助けられた。
 幸いなことに俺は大学でドイツ語を習っていたので、多少の日常会話なら分かる。ただし、英語はさっぱり分からない。で、親切な小男は医者の資格もあると俺を親身に手当てしてくれて、この島での仕事も与えてくれた。
 もちろん、戦後日本がどうなったかも、世界がどう変わったかも聞かされたが、俺にはピンとは来なかった。
 それ程に、この島での生活は快適だった。
 その恩人はアイザック・ギルモアといい、若いのにこの島では実力者の一人のようであった。
 そして、現在ギルモア博士専属の秘書という立場にある。
 秘書といっても、要するに多忙な科学者の代わりに書類を整理したり、頼まれたものをタイプして清書したりというのがせいぜいである。一応、薬学を専攻していた俺だから、多少の科学的知識も手伝って、それなりにこの島でも重宝されていたし、合気道3段の腕前を生かして、兵士達に合気道を教えてもいた。
 そんな俺を一番、困らせるのが、ギルモア博士のメモ書きなのである。論文ならば、まだ前後関係からこんなことを書いてあると推察は出来るし、大抵の場合それは間違ってはいないのだが、メモ書きとなると話は別だ。
 何が書いてあるか分からないのだ。
 俺がこの島で重宝される理由には、ギルモア博士の直筆を読めるというのもあるのだ。
 つまり、その、恩人に対して言いにくいのだが、博士は非常に稀に見る悪筆で、今までは誰も何が書いてあるのか読めなかったのである。
 だが、俺にだって読めないものはある。
 それがメモ書きである。
 先日、連れてこられた実験体の生年月日を記入する欄に書かれたのは、ミミズがのたくっているようで、いくら博士の悪筆に慣れた俺ですら理解不能な文字、いや文字というのもおこがましい、象形文字といったほうが説得力のある物体であった。
 だが、早く仕上げないと実験体のカルテが出来上がらない。
 俺は仕方なく、今までの博士の悪筆に対する経験から拠る感で誕生日を書き込んだ。
 そう2月2日と……。





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