あなたはあなたのままで



 ジェットは浮かれていた。
 アルベルトと一緒に二泊三日の旅行に来ているからだ。
 二人っきりというのもよかったかもしれないけれども、仕方がない。今回の旅には夜の時間に入ったイワンが同行している。昼の時間のイワンになら何かと言われそうであるが、夜の時間のイワンなら眠ったままで、起きたらミルクを飲ませて、時折おむつの交換をしてやるだけだから、普通の赤ん坊に比べたら全然手はかからない。
 それよりも、何よりも、イワンが一緒のおかげで気恥ずかしいけれども、世間様は勝手に色々と想像してくれる様で、今回の旅は思いの他スムーズに運んでいる。
 家族だと名乗ってもいないのに、旅館の人も立ち寄った観光地でも、お土産屋でも勝手にアルベルトが父親でジェットが母親、そして、イワンを息子だと思ってくれるのだ。
 日本語が話せると分かると、大抵の人は『まあ、可愛らしい赤ちゃんだこと。パパにそっくりね』とか『若いお母さんね。大変だろうけどがんばってよ』と声を掛けてくれる。
 そうやって、まるでアルベルトと夫婦扱いされることにこそばゆさを感じてしまう。
 だったら、このまま女のままでも構わないかなと、ジェットはそんなことを思い始めていた。
 もちろん、女性になってしまった時は慌てたし、取り乱したりもした。
 張々湖の友人で金髪のコックがくれた怪しげな木の実を食べたことから、全ては始まったのである。もちろん、張々湖はその真意を確かめる為に、友達である金髪のコックを問い詰め、二週間程で元に戻るということだったのだが、一ヶ月経った今でも、元に戻る気配は皆無である。その上、金髪のコックは旅に出てしまって連絡を取る術もない。
 フランソワーズは喜んでくれているし、最初は女の子になったジェットにどう接したらよいか戸惑っていた仲間達も、次第に慣れていった。そんな中、アルベルトが気分転換にと温泉旅行に誘ってくれたのだ。
 山間の温泉に浸かり、ドライブがてら雪景色でも見に行こうという宿以外は何も決めていない気楽な旅だった。
 しかし、出発前日になって、突如ギルモア博士が学会で香港に行かなくてはいけなくなり、ジョーはそのお供、つまり秘書兼ボディガートとして随行しなければならなかった。フランソワーズは結婚式の披露宴の予約の入った張々湖飯店の手伝いがあるし、もちろん、張々湖もグレートも張々湖飯店から動けない。
 夜の時間に入ったイワンをどうするかということになったのであるが、結局、アルベルトとジェットが連れての旅行となったという次第なのである。
 ジェットは、慣れた仕草で女性用トイレから出ると、ぶらぶらと通りを散策しようかとあちこちを見渡した。ここは、門前町といって寺を中心に栄えた古い街並が今も残る場所で、通り自体が観光地になっていて、珍しいものが沢山置いてあった。
 こういった古くて雑多とした街並みが好きなジェットは、浮かれていた。
「Hi!」
 自分と同世代の男三人がジェットに声を掛けて来る。
「こんにちは」
 ジェットは声を掛けて来た男達にそう愛想良く返事をする。
 彼等は達者な日本語にびっくりした様子だった。
「日本語、上手いね」
「ホントだ」
「日本には、長いの?」
 と口々に質問をぶつけてくる。
「日本語は友達に教えてもらったし、日本はうん、それなりにね」
 曖昧に答えるとジェットは手元の綺麗な生地を張って作られた15cm四方の箱のような物に手を伸ばした。
「これはね。ほら」
 男の一人がジェットの見ていた箱を取り、小さな引き手に指先を引っ掛けて横にスライドさせると、更に奥から3段になった引き出しが出てきた。
「わぁ〜」
 ジェットはその精巧な作りと、綺麗な生地が貼られたこれはフランソワーズのお土産にしたら喜ぶだろうと思っていたのだが、使い方が分からなかったのだ。
「アクセサリーなんかを、入れたりするんだよ」
 もう一人はジェットの左側に回り、手近にあった茄子の根付を引き出しに入れ、こうやって使うんだよと耳打ちをする。
「ねえ、これは何なの?」
 ジェットは根付を指差すと残った最後の一人がジェットの背後から声を掛けた。目の前にショーケース、左右と後を若い男達に囲まれていた。しかし、一向に気にしている様子はない。
「これはね。根付といって財布や、鞄、最近は携帯電話につける人もいるけどね。日本独特のアクセサリーなんだよ」
 ジェットは大仰に感心したり、可愛い、綺麗と連発して喜んでいる。
 男達はそんなジェットに見えないように目配せすると、背後にいた男がジェットの肩に優しくゆっくりと手を置いた。
「色々と俺達が案内してあげるよ。他にも、もっと可愛いアクセサリーとか売ってる店もあるんだ。どうだい?」
「でも……」
 ジェットは頬に手を当てて考える素振りをする。
「どうしよう」
「僕達は今日、休みで、何も予定がないんだよ。それに、君と英語で話しをしてもらえたら、英語の勉強にもなるし……」
 そう、彼等は最初からジェットをナンパするつもりだったのだ。
 すらりと伸びた長い手足、赤味を帯びた金髪、白い肌に、ピンク色のルージュ、見えそうに短いタータンチェックのマイクロミニスカートと、茶色のロングブーツ、ファーが首の周りについた皮のコート。細い腰には大きめのウエストポーチをしている。
 どう見ても、10代後半の可愛らしい女の子にしか見えない。
 声を掛けてみれば、警戒という言葉も知らないような態度に男達は舌なめずりをしていた。あわよくば、暗がりに連れ込んでとまで考えていたのだ。
「ね。俺達の勉強を助けると思ってさ」
 と下手に出て見せる。ジェットの素振りから、これは落とせると三人がそう思い始めた時であった。
 ジェットは考えるように頬に当てていた右手を突然、高く上げ、大きな声で人の名前を呼んだ。
「アルッ!! こっちこっちだよ」
「ジェット」
 ジェットが声を掛けたのは、赤ん坊を抱いた銀髪の背の高い外国人であった。
 ゆったりとこちらに向かって歩いてくる。
「誰? 知り合い」
 まさかの展開に男達はどうしたら良いのか、分からないでいる。ひょっとして父親なのかもしれないし、ああ、きっと彼女の姉の旦那さんかもしれないと、そんなことが頭を渦まいていた。
「うん。旦那と子供」
 ジェットの台詞に三人は固まる。
 固まった三人に囲まれているジェットの元に歩いてくると、アルと呼ばれた男は男達に見向きもせずに、ジェットの頬に軽く口付けた。
「この人達は?」
 とても落ち着いた、綺麗な発音の日本語であった。自分達のような若者にはない迫力と大人の落ち着いた雰囲気に圧倒されつつあった。
「親切な人達でね。色々と教えてくれたんだ。ほら、これ、フランのお土産にどうかなって? アルはどう思う。それより、車止められたの」
「ああ、少々歩くがな。相変わらず、日本は車が多い。それで遅くなったんだ。それに、お前が選んだものなら、フランソワーズは何でも喜んでくれるさ」
「そっかな」
 ジェットは既に、三人のことなど忘れている。
「妻が世話になった。さあ、ジェット、お礼を言って失礼しよう」
 アルベルトは内心、いかにも頭の軽そうな若い男達に対して腸が煮えくり返りそうであったが、そんなことおくびにも出さず、ジェットの腰を紳士的な態度で引き寄せると、店内のレジへと進んでいった。
 ぼんやりと彼等は、その様子を見送っていた。
「詐欺だよな」
「そうだよな」
「あのおっさん、幾つなんだ」
「少なくとも、三十、いや三十五ぐらいだよな」
「あの子、十八歳ぐらいだろう? いってても二十歳ってとこだよな」
「子供までいるんだよな」
「不公平だ……」
「ああ」
 呟くように三人はそう言い続ける。
 魚に逃げられたというショックよりも、魚が逃げ込んだ場所には鮫がいたという感覚に、感情の持って行きようが分からなくなっていたのだ。
 彼等の視界の先には、自分達には見せなかった笑顔を傍らの男に向ける可愛らしい女の子の姿があったのである。





「怒ってる?」
 イワンを抱いたアルベルトの腕に掴まるように歩いていたジェットは、そう声を掛ける。
「ナンパ、されてることが分かってるなら、相手をするな」
 不機嫌な理由なんてジェットには分かっているけれども、こうして嫉妬してくれるアルベルトの姿がたまらなく嬉しい。元々、独占欲の強い男だったけれども、女の子になってからは、それに心配性がプラスされた。
 男だった時は、心配されると五月蝿いものだと思っていたけれども、女の子になると不思議なもので、心配してくれるその気持ちが嬉しくてこそばゆい。女装すると気持ちも女性化することがあるというけれども、自分もきっとそうなのだろう。自分は躯も女の子になってしまっているのだから、女性化したとしても仕方ない。
「いいじゃん」
「よくない。どこかに、連れ込まれて乱暴でもされたら……」
 最後の辺りはぶつぶつと口の中で台詞を転がしているので聞き取れないけれども、何を言っているのかだいたいの想像はつくというものである。
「大丈夫だよ。だって、わざわざ日本語使ったじゃん」
 それが何なんだと、アルベルトは不機嫌な視線をジェットに向けた。ジェットはアルベルトの腕から離れて、立ち止まる。アルベルトはそのまま二、三歩歩いてから振り返った。
「あんたのこと、旦那って言いたかったんだもん。あんただって、わざわざ日本語使って話したじゃん。妻がお世話になりましたってさ」
 そう、二人の会話の中心は英語だ。時折、ドイツ語も交えるけれども、八割方英語で構成されている。
 日本語を使うのはジョーと話す時か、日本に滞在中、買い物や日本人と話す用事がある時だけで、一応、メンバー達全員の共通語はBG団時代から英語なのである。
「ちょっとさ。本当だったら……ってさ」
 ジェットは俯いてそう呟く。
 もう、このまま戻らなくてもいい気がする。女の子のままだったら、堂々と手を繋いで歩けるし、アルベルトととも結婚が出来るのだ。一緒に暮らしたとしても、後ろ指をさされることはない。
 男同士の時に背負っていたリスクが全て解消されるのだ。
 少なくとも、ジェットは自分がアルベルトを非日常という空間で同性同士の恋愛に引き摺り込んだという負い目を持っていた。男に戻りたくないといえば嘘なのだけれども、戻れない現実の中では女性であることに意味を見出さなくては、日々が辛いと思える時もあるのだ。
「でも、無理か、もし突然、朝起きたら男に戻ってたりしたらさ」
 寂しそうに笑ったジェットの姿が、アルベルトの胸をちくりと痛くさせる。たまらなくなって、アルベルトは立ち止まったままのジェットの元まで戻ってきて、優しく手を握った。
「関係ないさ。お前が男だって、女だって、俺にとっては、お前がお前だったら、それでイイ。別に男同士だって、構わんだろう。どうせ、サイボーグなんだし、普通の人間とは随分と違うんだから、普通の人間と随分違う恋愛したって今更だろう? 違うか」
「アル」
 さあ、行こうとアルベルトはジェットの手を握ったまま歩き始める。
 分かっていたはずなのに、アルベルトがそういう男だと知っていたはずなのに、毎日、一緒に過ごしているから忘れてしまっていた。状況に流されて、男と関係を続けられるようなそんな不実な人間じゃないことぐらい。
「うん」
「それからな」
 アルベルトは少し屈んで、ジェットに耳打ちをする。
「お前のこと、若くて可愛い奥さんですね。ってやっかみ半分で言われるのも、悪くない」
 珍しく人の悪い笑みを浮かべるアルベルトにジェットは、そうだよ俺ってすごく可愛くて魅力的だろうと囁いた。男なのに、突然、女になってしまった奇妙な自分の存在を自慢といってくれることが、ジェットにとってそれがどんな言葉であったとしても嬉しいことだった。
 二人はお互いの手をぎゅっと握り締めると仲睦まじげに、ゆっくりと寄り添って歩いていった。





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The fanfictions are written by Urara since'05/02/10