恋の糸はもつれっぱなし



 ジェットは風通しの良い場所に揺りかごを移動させてすやすやと眠っているイワンを覗き込み、ふくよかな頬をつんつんと二度突付くと、イワンは目を覚ました。
『ズイブントウカレテイルジャナイカ』
 今まで、眠っていたということを微塵も感じさせない口調でジェットに語り掛ける。
「へへっ、起こしちまったみたいだな。ごめん」
 浮かれているジェットの様子に、嫌味な言葉は引っ込んでしまう。
『アルベルトガトウチャクスルジカンジャナイノカ? コンナトコロデアブラヲウッテテイイノカイ』
 その台詞にジェットは再び、へへへんと笑うとそうっとイワンを抱き上げた。
「なあ、散歩に行かないか。夕涼みがてらさ」
 ジェットとの散歩は嫌いではない。
 フランソワーズには悪いが、ジェットの腕の中に居る時間が一番長いだけに、ジェットの腕の中はしっくりと来るものがある。
 夏のバカンスをギルモア邸で過ごす為集まって来たメンバーの最後に到着をするアルベルトとピュンマをジョーが買い物のついでに最寄りの駅まで迎えに行ったのが、2時間前だったはずだから、そろそろ戻ってきても良い時間だ。
 ジェットをすぐに独り占めしたがるアルベルトは到着早々にジェットの姿を探すであろう。だったら、二人で雲隠れをするのも悪くない。自分だってジェットと一緒に過ごしたいのにアルベルトに先を越されてばかりで、これくらいの意趣返しはいいだろうと、イワンは嬉しそうに笑った。
『イイケド、ユウショクニハモドルンダヨ。ジャナイト、ジョーニイヤミヲイワレルノハボクナンダカラネ。ソウトキマッタラ、サッソクデカケヨウゼ、アイボウ』
 イワンの台詞に了解しましたとおどけて答えたジェットはこっそりと部屋を抜け出した。





 荷物を自室に置いたアルベルトはまず、アルベルトの隣の部屋、つまりジェットのギルモア邸における自室を覗くが、荷物だけがぽつんと置かれているだけで、その気配はなかった。
 やはりと、そのまま階下に下りていく。
 ジェットは独りで居ることをあまり好まない。特に、ギルモア邸にいる時にはその傾向が顕著になり、誰かに引っ付いているのだ。だから、ジェットそのものを探すよりも、ギルモア邸に居る全員の居場所を確認した方がジェットを見つけ易いということに、アルベルトは最近気付いたのである。
 階段を下り、廊下を抜け、リビングに入ると、空港から一緒だったピュンマがソファーにゆったりと座っていた。その隣ではジェロニモがコーヒーをピュンマお気に入りのマグカップに注いでいる。
 コーヒーの良い香りがする。
 キッチンから、流れてくる料理をしている匂いと相俟って、何ともいえない、懐かしくて、優しい、そんな匂いと気配がリビングを包んでいる。戦いのない日々のギルモア邸は故郷や帰る家を失った彼等にとって、大切な故郷であり帰る場所となっているのだ。
「いい、香りだな」
「君も頂くかい?」
 とピュンマはマグカップをアルベルトに向って掲げる。
「いや、また、ご馳走してもらうよ。ところで、ジェットを知らないか?」
 ピュンマはやはり、という顔をしてから、隣に座るジェロニモに視線を移した。それだけで、ジェロニモはピュンマが何を問いたいのか分かってしまっていた。
「3時頃、ここで大人に作ってもらったゼリーを食べていたようだが」
 つまり、それ以降、ジェロニモはジェットの姿を見ていないということになる。
「邪魔して悪かったな」
 とアルベルトは二人に礼を言うと、キッチンを覗き込んだ。
 その背後では、淹れてくれたコーヒーの香りの良さを褒めるピュンマと、褒められて照れるジェロニモの姿があった。
「よう」
 顔を覗かせると、張々湖とジョーが忙しそうに十人分の夕食作りに励んでいた。
「お久しぶりあるね。元気そうで何よりよ」
 大人は、大きな鍋から視線を外すことなく、手を休めることなく、アルベルトにそう挨拶をする。
「大人、薬味用のネギがないよ」
「仕方ないある。畑にいるグレートはんに持ってくるように言うあるね」
 張々湖は、ガスコンロに掛けられた三つの鍋を順に見て回りながら、手際よく野菜を切って、下拵えをしている。
「だそうだよ。アルベルト」
 冷蔵庫で探し物をしていたらしいジョーはアルベルトに向き直って、そう言った。
「?」
「だって、ジェットを探しに行くんでしょう? リビングでジェロニモとピュンマに聞いたけど、分からなかったから、まず一番近いキッチンにいる僕等に声を掛けた。でも、いないから、今度は、順番から言えば、畑にいる博士とグレートの所に行くってのが……、でしょ。だから、グレートに伝言宜しくね」
 というとジョーはキッチンの奥にある食料倉庫に入って行ってしまった。
 別に、ジェットとの仲を隠しているわけではない。
 ジェットが恥ずかしいからというので、決定的な宣言というのか発表は控えているが、自分達の関係を皆が気付いていることを、アルベルトは理解していた。
 時折、ジェットを独り占めしたくて無理を通し、意趣返しをされたりはするのだが、それも、まあ、ジェットを独り占めしている時間が長いという証なので、アルベルトにとっては、嬉しいことでもある。
 1ヶ月以上も会っていないのだ。
 早く会って、あの痩躯を折れてしまうくらいに抱き締めたい。
 そして、恋人同士のキスがしたい。
 一刻も早く。
 必然と足取りも速くなり、ギルモア邸の裏手にある畑に急いだ。
 ギルモア博士が運動不足解消と実益を兼ねて始めた家庭菜園であった。普段、ギルモア博士とジョーとフランソワーズの三人が食べるには十分すぎる収穫があり、店の定休日には遊びに来る張々湖とグレートに持たせてやることも少なくない。
 もちろん、メンバーが夏のバカンスをギルモア邸で過ごすと聞いて、博士ははりきってこの時期に収穫できる野菜を沢山作ったのである。
 今では、料理担当は張々湖とジョー、畑仕事は博士とグレートという図式が出来上がっていた。
 大きな麦わら帽子を被った博士と、豆絞りを被ったグレートの姿が見える。
「博士っ!! グレート」
 二人を呼ぶと、アルベルトは野菜を踏まぬように注意して、二人の近くまで駆け寄った。
「よう来たの。アルベルト」
「元気なようですな」
 久しぶりの挨拶に、アルベルトは元気でやってるとそう答えた。
「ああ、グレート。張大人からの伝言だ。薬味用のネギも持ってきてくれだとさ」
「あいよ」
 とグレートは足取りも軽やかに、ネギが植えられている一角に移動していった。変身能力を使っていないのに、その動きは蛸を連想させて、アルベルトは思わず頬を緩めた。
「ジェットなら、30分くらい前に来て、トマトをもいで食べていったきりだが……」
「博士」
 何も言わずとも、自分がジェットを探していることは、皆が知っていることかと思うと、嬉しさ半分、恥ずかしさ半分になる。
「久しぶりに、恋人に会うんじゃ。早く会いたいじゃろう。さあ、早く行ってあげなさい。夕食には遅れるんじゃないぞ」
 と博士に応援されてしまった。
 そうなっては、探すのを諦めてリビングで待つという選択肢が奪われてしまったも同然になってしまうではないか。もちろん、アルベルトとジェットは肉体関係を伴う恋人同士なので、自分達の躯のこともあって、博士にだけは正直に二人の関係を打ち明けていたのだ。
 アルベルトは分かりましたと答えて、博士に背を向け、当てもなく歩き始めた。
 海岸沿いの松林を抜け、砂浜を歩くが、遊泳が禁止されているこの辺りはシーズン中であっても人っ子一人いなかった。
 後、ギルモア邸に現在、滞在している人物で会っていないのは、フランソワーズとイワンだけである。
 一番、手ごわい二人が残ってしまっているではないか。
 第一世代というカテゴリーで括られる4人ではある。一緒に過ごした時間が長いだけに互いが何を考えているのか、予測できてしまう。分かってしまうから、反対に性質が悪いのだ。
 フランソワーズはジェットを弟のように可愛がっていて、ジェットもまたフランソワーズに懐いている。男女の関係ではないが、二人は親友のようで、姉弟のようで、恋人同士よりもある意味では近しい存在である。
 もちろん、フランソワーズに嫉妬がないわけではないが、フランソワーズも恋人であるアルベルトに嫉妬しているから、それはお互い様だ。けれども、イワンは違う。どうも、アルベルトの範疇にあるどんな関係もイワンとジェットの関係を表すに近いものがないのだ。
 兄弟、いや違う。
 でも、恋人、いや、親子。
 友人……。
 そんなことを考えていると、遠くから声を掛けられる。
「そこの、アホ面のドイツ人」
 あまりの台詞であるが、そういうことを言うのはフランソワーズぐらいである。しかも、そういうことを言うということは、近くにジェットがいないことを示しているに他ならない。何故なら、アルベルトとフランソワーズが原因が何であれ、いがみ合っている姿を見ると、ジェットが悲しむから、ジェット第一主義の二人は、決していがみ合っている姿をちらりとでも見せないのだ。
 フランソワーズに頼み込んで、ジェットの行方を捜してもらおうかとも思うが、それに付随してくる嫌がらせと自力で探し出す労力を瞬時に秤に掛けたアルベルトは、迷うことなく後者を選んだ。
 そして、まだ何か言っているフランソワーズを無視すると、更に歩く速度を上げた。
 暫く歩くと、灯台が見えてくる。
 灯台から道路へと続く階段を歩き、一端、道路に出ると、そこを横断する。
 今度は海岸が見下ろせる道をギルモア邸に向けて歩く。
 イワンと散歩に出ているのだとすれば、コースは限定される。ギルモア邸から西に向かい松林を抜け、灯台のある場所から道路を横断し、海岸を見下ろせる軽自動車がやっと通れる程度の山道をギルモア邸に向う。もう一つはギルモア邸から東に海岸を歩いていくとごつごつとした岩場に出る。
 岩場と砂浜が交代に現れ、やがて、崖のように突き出した大きな岩石により行く手を阻まれる。
 そこから、再び、Uターンしてくるというコースである。
 ぐるりと、回ってみるしか、ジェットを探す方法はない。
 このペースで歩いていけば、夕食にはギルモア邸に戻れるだろうと、アルベルトは散歩コースを歩き続けた。





「遅いな」
 ジェットはギルモア邸のテラスから、砂浜に目を凝らしていた。
「もう、すぐ、後10分ぐらいかしらね」
 いつの間にか、背後に忍び寄っていたフランソワーズがそう囁いた。
「10分?」
 ジェットは嬉しそうに笑う。
 だから、アルベルトとの仲を邪魔できないのだ。別に、アルベルト個人が嫌いなわけではない。仲間として信頼に足る人間だと思っているけれども、ジェットが絡めば話しは別なのである。
 フランソワーズにとって、ジェットはBG団の中で始めて出会った仲間で、全てを取り上げられて無くしてしまったと悲観していた彼女が、手に入れられたと思った初めての人なのである。
 彼の自分に寄せる愛情がなかったならば、自分は今こうして、ここに居ることは出来なかっただろう。
 精神に変調をきたして、出来損ないとして廃棄されてしまっていたかもしれない。
「でも、そんなに会いたかったら、逃げなくたっていいでしょう」
 フランソワーズは半分呆れた口調でそう言う。
『チガウンダヨ。フランソワーズ』
 フランソワーズに抱かれたイワンがそう言った。
『ジェットハネ、アルベルトニサガシテホシカッタンダヨ』
「つまり、探してまで、会いに来てくれるか、試したわけなのね」
 イワンの台詞の続きを察して、フランソワーズはそれに続けた。
 ジェットの頬は夕陽に照らされて見え辛いが、艶やかに染まっていたであろうことは、フランソワーズとイワンでなくとも想像できることであった。
「試したわけじゃないぜ。焦らした方が、嬉しさも増すだろう?」
『ソノタメニボクハ、サンポニツキアワサレタノカイ?』
 イワンは呆れた口調で言うが、実は、ジェットに気付かれないようにフランソワーズと連携して、アルベルトとジェットが途中で出会わないようにしていたのである。
「ああ、走ってくるわよ」
「オレに気付いたのかな?」
 ジェットは嬉しそうに、テラスから身を乗り出した。
 そして、待ちきれないというようにテラスからひらりと砂浜に降りると、愛しい恋人に向って走り始める。
 互いの距離が短くなり、やがて二人はひしっと抱き合う。
 何も語らずに、口唇を重ねた。
 つい、何秒か計りたくなるくらいに長いキスであった。しかも、何度も飽きることなく角度を変えキスをしている。
 テラスにはフランソワーズとイワンだけでなく、他のメンバーも出てきていた。
「ああ、あんな恋愛してみたいな」
 羨ましそうに、両手を胸の前で組んでうっとりと二人を見詰めたのはジョー。
「30秒経過」
 腕に嵌めた時計でキスのタイムを測っているのはピュンマ。
「相変わらず、お幸せそうで……」
 そんなことを言うのはグレート。
「そうだな。風も海も祝福している」
 グレートの台詞を受けたのはジェロニモ。
「いいんじゃよ。二人が幸せなら」
 そう締めくくったのは、ギルモア博士だった。
 全員で、幸せな二人の様子を出刃亀していたが、最初に現実に戻ったのは張々湖であった。
「ところで、誰が、二人を呼びに行くね。夕飯が冷めてしまうあるよ」
 張々湖の台詞に、そこにいた全員が賑やかな笑い声を上げる。
 そして、全員で声を合わせて二人の名前を呼んだ。
「ジェット、アルベルト。ご飯だよぉ〜」





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