人生という幸福論



 パリの空は高く、まだまだ秋の気配は程遠い。
 ピュンマはそんなことを考えながら、セーヌ川の川岸にあるアルバイト先から、自宅アパートに向って歩いていた。
 パリの夏は暑い。
 ビジネスマンのほとんどが郊外にバカンスに出掛けて、パリに居残っている人は、ある意味本当のパリっ子と呼ばれる人達ばかりであった。
 ピュンマがこの都市で独り暮らしを始めて、3年という月日が流れた。
 故郷を失ったわけではないが、当分は帰ることは出来ない。
 独立運動の闘士であったピュンマだが、その戦いの最中、BG団に連れ去られサイボーグにされた。故郷に帰ることも叶わずにまず自分という人間が生きていく為の戦いを強いられ、ようやく期限付きではあろうが自由を手に入れた。
 故郷は一つの国家として独立し、独立後にしなくてはならないことは山積みで、ピュンマは自由を得た後、故郷に戻り、独立運動の同士達と国造りに没頭した。
 けれども、サイボーグであるピュンマは年を取ることはない。
 周りは年を取っていくのに、全く変わらぬ外見のピュンマを訝しく思う連中がいたし、独立運動の途中で突然、姿を消したにもかかわらず、新しい国家の中枢に近い場所にいるピュンマを快く思わない連中も少なくなかった。
 国家としての体裁をどうにか整え、国連への加盟も認められたのを気に、そんな自分に対する不穏な空気を感じ取ったピュンマは手持ちの現金だけを持って、国を出た。
 最初に転がり込んだのはアルベルトのアパートであった。
 他意はなく、ただ、ベルリン行きの飛行機が一番最初に来たから乗っただけだった。
 それに、他のメンバーの故国はその姿を変えずに存在していたけれども、アルベルトの故国は分断と統合を経験し、またアルベルトもその時代の中で生きてきていたので、自分の気持ちを理解してもらえるかもしれないとの心の何処かで思ったのかもしれない。
 アルベルトのアパートで三ヶ月、ぶらぶらとして過ごした後、一度、ギルモア邸に行き今後のことを考えた。
 色々とギルモア博士とも話し合った結果、大学に通うことにしたのである。
 ギルモア博士の知り合いの推薦で、ソルボンヌ大学に編入し、環境学について現在は学んでいる。
 穏やかで今までの自分には考えられない生活であった。
 時折、フランソワーズと食事をしたり、仕事でパリに寄ったグレートやアルベルトを泊めることもあるし、一緒に飲むこともある。アルベルトの元に遊びに来たジェットが顔を覗かせにくることもある。
 卒業したら、リサイクル会社に就職することも決まっている。
 順風満帆な人生なのだろう。
 でも、ピュンマには何処か物足りなさがある。
 それが何であるかピュンマは充分に承知していたけれども、それはどうすることも出来ないことなのだ。
 独立運動の闘士であり、ピュンマにとっては大先輩にあたる男がいつも言っていた。生きていること自体が幸福であり、それ以上の幸福はない。死んでしまったら、幸も不幸もなくなってしまうのだからと。
 確かに、命のやり取りをする人生を長らく生きてきたピュンマには理解できる言葉なのだけれども、サイボーグになった今は死という意味が生身の人間の死とは異なるであろうことを自覚してしまっていたが故に、生身だった頃には理解できていたような言葉も、何処か磨りガラスの向こうにある言葉のように感じてしまっていた。
「よぉ」
 この地にいるはずのない友が、気安い調子で手を上げている。
 視線の先に居る彼は決して錯覚ではないだろう、あまりにも細部にわたって彼の様子を描写出来る程度には、はっきりとその姿をピュンマの視覚は捉えていた。
 折り目正しいスラックスに半袖のポロシャツ、腕には麻のジャケットを持っている。
「仕事かい?」
「いや、今日は我らが王女様の使いさ」
 おどけた調子で話すその口調は彼独特のもので、安堵を覚える。不思議なことに、故国で一緒に戦った仲間達よりも、00ナンバーサイボーグとして仲間の方と一緒に居る方が、ピュンマの中では当り前なことになってしまっていた。
「我らが王女様の御用とは?」
 ピュンマの問いかけに、男はくくくっと喉で低く笑うと、本当に可笑しい奴だとの視線をピュンマに送った。覚えのないピュンマはじろりと彼を睨むが何処吹く風という調子で、行けば分かるさと、先に立って歩き始めた。
「一体……」
 ピュンマはその背後から何度か、問い掛けたが、のらりくらりとかわされ会話としてなかなか噛み合わない。噛み合わない会話にピュンマが疲れを感じた頃、彼は振り返ってこう言った。
「お前さんの誕生日だろう。だから王女様がお祝いしようって、わかったかい。たたじ、俺がしゃべったなんていうんじゃねぇぞ」
「あぁ」
 ピュンマは台詞が続けられなかった。
 すっかり忘れていた。
 毎年届く仲間達からのバースディカードを見て、ようやく自分の誕生日を思い出すだけで、それ以上でも以下でもない。それに、本当にこの誕生日が正しいのか保証もない。戦乱の下で生まれたピュンマ達は出生届を出していない者も多く、長じてから自分で適当な誕生日を申告して届けを出すものも少なくなかったからだ。
 それでも、こうして祝ってくれる気持ちは嬉しいと思う。
 これが幸福というものなのだろう。
 人生の中には、幸福と呼べる瞬間が点在していて、それを結ぶと人生になるのだろう。
 独立運動の最中にでも、幸福と呼べる一瞬は確かに存在していた。死んでしまったら、その幸福という点を結ぶことも出来なくなってしまう。その昔、彼が言いたかったのはこのようなことなのかもしれない。
 その瞬間、磨りガラスの向こうにあった大先輩の言葉の意味が突然、身近な言葉だとそう思えた。
「行こうか」
 アルベルトは何事もなかったかのように歩き始める。
「ああ」
 ピュンマは短く答えると今度は黙ったまま、アルベルトの後に続いた。





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