愛を運ぶメッセンジャー



 夏の名残りが色濃く漂うNYだが、今日は少し雲っていてハドソン川から吹いてくる風が心地良く感じられる。
 ビジネス街には昼食を取りに、高層ビルから出てきたビジネススーツを脱いでシャツだけになったラフなスタイルのビジネスマンやビジネスウーマン達でごった返していた。
 ジェットはそんな人込みを自転車で器用に擦り抜ける。
「よう、ジェット」
 いつも配達を請け負っているお得意様に声を掛けられて、ジェットはスピードを落として笑顔で手を振りつつ、自転車を器用に操る。
 車道と歩道の狭間の狭いスペースに自転車を乗せて、走らせるジェットの背後に、イエロータクシーの群れを掻き分けて進んできたパトカーの窓から警官が声を掛けて来た。
「気をつけろよ。あんまり飛ばし過ぎると切符切るぞ」
 ジェットはパトロール警官に愛想笑いで返すと、次の交差点を左折して、そのまま地下鉄へと潜って行った。
 もちろん自転車に乗ったまま、器用に階段を下りて行く。
 そのテクニックに目を一杯見開いて驚く者や、手を叩いて喝采を送るもの、またかと肩を竦める者、反応は様々であるが、それがNYという街の特徴でもある。沢山の人々、様々な人種、年齢、職業の人達が混在していて自分達のようなサイボーグであっても、社会に埋没して生きていくには都合の良い都市であった。
 特に、このビジネス街は、徒歩で移動した方が早いくらいに道路は自動車で溢れている。
 だから、自転車便という稼業がここNYのビジネス街では重宝されているのだ。
 彼等は地下鉄への階段ですら自転車で駆け下り、自転車に乗ったままエレベータに駆け込んで来る。そういうプロフェッショナルな自転車便は、ネットが普及したにも関わらず、仕事が減ることはない。
 ジェットはそんな自転車便の会社でも老舗と呼ばれる古くからある会社のエース、いや最速の男という称号を持っていた。もちろん、時間に正確に届けるという点も大切であるが、それよりも、その屈託のない笑顔は乾いたビジネス街に爽やかな風を運ぶというのであろうか、ジェットを指名してくれる顧客も多く、依頼はひっきりなしで、多忙な日々を送っていた。
 しかし、今のジェットは休憩時間で、仕事で急いでいるわけではなかった。
 地下鉄の改札を定期券で通り抜け、そのまま構内を走っていく。そして、反対方向のホームへと出ると、再び、定期券で改札を潜り抜けて、今度は階段を自転車に乗ったまま登っていく。
 歩道も人で溢れているこの街では地下鉄構内は通勤ラッシュの時間帯でなければ、地上よりも人が少なく短い時間で移動が可能であるのだ。
 自転車便の人達がこうして地下鉄構内を潜り抜けるのは、然程珍しいことではなく、駅員も見て見ぬ振りをしている。まあ、そんな姿もこの街の風物詩となっている感もあって、観光客などは地下鉄を走り抜ける自転車便を写真に撮っているくらいである。
 ジェットが再び地上に出ると、其処は人通りもやや少ない一角であった。
 そのまま進むと、消防署があり、他にも警察署といった古い建物が軒を連ねている。
 更に進むと、其処には数台のトラックと数台の小型ワゴン車が止まったこれまた古い建物があった。
 中では、同じ制服を着た男性達が荷物を抱えて、あちこちと忙しそうに働いていた。
 ジェットは、入り口で警備している髪がすっかり白くなった元警察管の恰幅の良い老人に片手を上げて通り抜ける。
 ここは、某大手の運送会社の支店である。
 このビジネス街をエリアにしていて、ジェットが勤めている会社とも少なからず縁のある会社なのである。
 時間指定等の荷物がある時などは、ジェットの勤める会社が下請けになって届ける場合があるのだ。遠くに送る荷物や書類はこの運送会社を使うのだが、NY間を行き来する荷物は自転車便にという同業種内による棲み分けが長い間、保たれていた。
 ジェットは自転車に乗ったまま、慣れた仕草で事務所のドアを開けた。
「こんちは、お届けモノです」
 黒人の中年女性が受付に座っている。ふっくらとした頬にチャーミングな笑顔を浮かべて、ジェットを歓迎してくれた。
「まあ、ご苦労様。で、誰にお届け物?」
 若い頃はさぞ綺麗だったのであろう面影は今も残っていて、ブルーのアイシャドウで飾られたアーモンドアイには楽しげな色が浮かんでいた。
「ええっと、アルは休憩中」
「ああ、奥で休憩しているはずだよ」
「サンキュ。マミー」
 彼女は誰にもマミーと呼ばれるこの界隈では、有名な女性なのだ。
 幾人の男性が彼女の母親的な優しさに慰められかしれない。
 ジェットはそんな彼女の頬に感謝のキスを落とすと、一度事務所から出た。
 事務所の外壁に沿って自転車を走らせ、裏手に回ると倉庫がある。ここで届いた荷物や、これから他の地方へ発送する荷物の仕分けをしているのだ。
 休憩時間なので、倉庫からは数人の男性達の声が聞こえて来る。
「よぉ」
 自転車に乗ったままジェットが入っていくと、アルベルトが驚いた顔をする。時折、下請けの仕事でジェットがここに遣って来ることはあるし、その時、時間が許せばアルベルトが社に居る場合は顔を見せに来る。
 同じ部屋で暮らしていて、今朝も一緒に途中まで出勤してきたのだけれども、こうして働いているジェットを見ると、新鮮に思える。ぴたりと細い足に張り付いた黒い膝上のスパッツにスニーカー、Tシャツに派手な色のポケットが沢山ついたベスト、そして背中にはナップサックを背負っている。
 BG団から逃げ出して自由になった頃は、とても普通に働くことなど無理じゃないかと思わせる言動が多々あったけれども、今では、すっかり自転車便の仕事が板についていて、しかも、会社では指名率ナンバー1とかで、それなりの給料を稼いでいる。
 何かと、物価の高いNYだが、二人で慎ましやかな生活を営むには十分の金額であったのだ。
「アルベルト・ハインリヒさんにお届け物です」
 多少、おどけてジェットはリックから小さな包みを取り出し、それをアルベルトに手渡した。
「誰からだ」
 その質問にジェットはにやりと笑う。
「ジェット・リンクさんからです」
 アルベルトはその意味を把握し損ねているのか、クエスチョンマークを頭上に撒き散らしていた。アルベルトの同僚達は何か楽しいことが起こるのではと、わくわくしながら二人の成り行きを見詰めている。
 二人の仲は既に、アルベルトの会社では公認なのだ。
「何かあったのか?」
 ジェットはその台詞にやれやれと肩を竦めた。
「あんた、恋人が自分の誕生日にプレゼント届けに来たんだからもう少し、嬉そうにしたらどうなんだい?」
 いつの間にか事務所に続く扉の所にマミーが腕を組んで立っていた。
「ああ、どうしてうちの男どもはどいつもこいつも、へたれてるんだろうねぇ。こういう時は、嬉しそうに笑うんだよ。そして、プレゼントを開けて、嬉しさのあまり、恋人を抱き締めて、甘いキスをするもんなんだよ。あんた達もお邪魔なんだから、さあ、こっちにくるんだよ」
 すっかり見物人と化していたアルベルトの同僚を事務所に追い立てると、倉庫にはアルベルトとジェットの二人きりになった。
「開けてみろよ」
 そう言われて、アルベルトは包みを開けた。
 其処には小さい箱が入っている。
 箱を開けると黒いケースがあって、更にそれを開けると其処には腕時計が入っていた。
 電波時計の最新モデルで、何気にテレビでCMしていたものを欲しいと見ていたものであった。けれども、ジェットには一言もそのことを言っていないはずだ。どうして分かったのだろう。ジェットはいつもアルベルトがして欲しいと思うことを、まるで魔法でも使ったかのように言い当てるのだ。
 ちょうど、月曜日に今まで使っていた腕時計が壊れて、修理に出したがあまりにも古い為、部品がなく修理は不可能だと言われ、どのみち週末には新しい時計を買うつもりだったのだ。
 けれども、自分が時計を買う為の予算として考えていた額をはるかに上回る腕時計だ。
「ジェット」
「腕時計は必要だろ? そろそろ前のが壊れそうだったんで、注文しておいたんだぜ。ちょうど良かっただろう」
「こんな高い物」
 アルベルトは嬉しさ反面、自分の為に散財させてしまったことの方に罪悪を感じてしまう。
「だって、あんた前に言ったじゃん。ちゃんと自分の力で稼げるようになったら、プレゼントしてくれって……。なかなか、誕生日プレゼント受け取ってくれねぇしよ。オレだってちゃんと仕事して自分で稼いでるんだぜ。一緒に暮らし始めたんなら、今度はオレがちゃんと真面目に仕事してるって分かってくれると思ってさ」
 ジェットはそっぽを向いたまま、そう一気に喋った。少し頬が赤いような気がするのは、自分の気のせいにしておこうとアルベルトは思う。
 アルベルトはその時計を左手に嵌めた。
 ベルトの長さも計ったかのようにぴたりと誂えてある。
「ジェット、ありがとう」
 アルベルトは自然とジェットを抱き締めていた。
 ジェットは自転車を跨いだままなので、不自然な上体だけの抱擁ではあったけれども、それは恋人同士のものであった。
「ほんとはさ、早引けしてあんたのために誕生日パーティーの準備して、今夜渡そうと思ったんだけどさ。今朝、こいつが会社の方に届いてて、我慢出来なくなって、休憩時間に持って来ちまった」
「いや、嬉しい」
「良かった、あんたの嬉しそうな顔が早く見たかったんだよ」
 アルベルトはもっと強くジェットを抱き締めた。
 何よりも、誕生日を祝ってくれる気持ちが嬉しい。
 NYで同棲を始めてから、新しい土地に慣れるためにわたわたしている間に時間が過ぎて自分の誕生日など忘れてしまっていた。いや、毎年、忘れるのだ。その度に、ジェットは馬鹿じゃんと笑いながら祝ってくれる。
 去年はまだアルベルトはドイツに住んでいて、ジェットが誕生日には文字通り空を飛んで祝いに来てくれた。いくら飛行能力を有するサイボーグであっても、わざわざ毎回、自分に会いに来てくれるジェットに誕生日プレゼントなど貰えるわけがない。そうその時も誕生日を忘れていて、ジェットに怒鳴られながらレストランに連れて行かれた。
 いや、本当は覚えているのに忘れた振りをしているのかもしれない。
 何故なら、その方が何倍も嬉しく感じる気がするからだ。
「おめでと」
 ジェットはそう抱き締められながら言ってくれる。
 しかし、昼の休憩時間は長くはなく、13時を報せるアラームが社内に響いた。
「やべえ。戻んないと……。じゃぁ」
 ジェットはビルの狭間を吹き抜ける風のようにアルベルトの腕の中から逃れると、アルベルトの頬にキスの感触を残して、猛スピードで自転車を漕いで行ってしまった。
 姿が見えなくなるのを見送ったアルベルトは、左腕に嵌めた時計のベルトに何度も確かめるように触れた。
 そして、事務所から覗いている同僚達の気配を感じて振り返る。彼等にからかわれるだろうことは分かっていたけれども、不思議とそれが疎ましいとは思えない。むしろ、こんなに自分を愛してくれている恋人が居るということを自慢したいくらいだ。
 アルベルトはゆっくりと、事務所に向って歩いて行った。
 もちろん、恋人からの素敵なプレゼントを同僚達に見せびらかす為である。





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