最期のクリスマス



「アルベルト、いらっしゃい」
 フランソワーズは白いスカートを翻しながら振り返ると、シャンパンを持って現れたアルベルトに笑いかける。
「あら、貴方達、また喧嘩したの」
 フランソワーズは、そう言うと部屋の中央に用意されたテーブルにオードブルが盛られた皿を置いた。
 その皿の向こうに、神妙な顔をしているイワンの姿が見える。
「ああ。まあ、そんなところだ」
 アルベルトはそう言うと、シャンパンをフランソワーズに渡し、イワンの隣に座る。
 イワンと視線だけを合わせると、イワンがテレパシーで話し掛けてきた。
『ワルカッタネ。ケサ、トツゼン、ムカシノフランソワーズニモドッタンダ』
 三年前にジェットが亡くなってから、すぐのことだった。ジェットを失った痛みに耐えられなくなったあまりに、忘れることを選択したかの如く、フランソワーズに奇妙な言動が見受けられるようになった。
 それは、サイボーグである以上逃れられない運命であった。
 躯のパーツはいくらでも替えがあるし、昔、彼等がサイボーグにされた当初を考えれば信じられないくらいサイボーグ技術は進歩している。
 しかし、脳だけは生身のままのサイボーグにとって脳の老化は避けられないことなのだ。
 一番古いサイボーグであったジェットがそうであった。
 日に日に記憶が薄れ、やがて自分では何も出来なくなっていき、そして、眠るように息を引き取ったのだ。
 次は、フランソワーズかアルベルトの番というのが順当であろうことは誰にでも予測できることだった。
 そして、ジェットの死後、似たような兆候がフランソワーズにも見られるようになった。
 最近では、一日、ただぼんやりとベッドに座っている日が多くなったのだと、一緒に暮らしているジョーの話しであった。
 アルベルトがジェットを看取ったのと同じように、夫婦同然の暮らしをしていたジョーは当然の如くそうなってしまったフランソワーズの看病を続けている。
 ジョーのことは忘れてしまっているのに、無邪気にジェットのことを話すフランソワーズにジョーの心が痛まぬわけではないが、それでも、ジョーは決してフランソワーズの面倒を他の人間に委ねることはなかった。
 アルベルトもその気持ちは分かる。
 ジェットもアルベルトの誕生日は忘れても、フランソワーズの誕生日は覚えていたりしたものだ。
 しかし、だからといってジェットの看病を誰かに委ねたいと思ったことはない。
「本当に、ジェットったら……。ねぇ、イワン、ご馳走食べるの待てる?」
 イワンは三歳児程度まで成長している。
 昔のようにミルクしか飲めない赤ん坊ではない。
 そんなイワンをフランソワーズは気遣いながらも、全員揃うまではパーティを始めたくない素振りをみせる。
「構わないよ。フランソワーズ」
 イワンはそう言うと、目の前に置かれていたジュースを一口飲んだ。
「らしいといえば、らしいわよね。でも、ちゃんとジェットが来たら仲直りしなさいよ。貴方の方が悪いに決まっているんですからね」
 昔のままのフランソワーズの口調にアルベルトは、哀しみを覚える。
「ああ、約束するよ」
 アルベルトのいつになくしおらしい態度にフランソワーズは、何か変なものでも食べたのと、皮肉を言う。
 アルベルトとジェットが恋仲になった頃は、互いの存在に嫉妬してジェットの見ていないところで随分と辛辣な遣り取りをしたものだった。
「変なアルベルト」
 フランソワーズはそう言うと、まるで、其処からジェットが遣って来るのではないかという表情をして、視線を窓の外に向けた。
 そして、そのままフランソワーズは動かなくなった。
 ぴんと伸びていた背中が丸くなり、穏やかな笑みを湛えていた口唇は口角がだらりと下がり、への字になる。輝いていた瞳は、光を失い膜でも張ったかのように何も映さなくなっていた。
「フランソワーズ」
 イワンが呼びかけるが反応はない。
 いつものフランソワーズに戻ってしまったのだろう。
 今夜はクリスマス・イブだから、イワンとジェットとフランソワーズ、そしてアルベルトで交わした約束を思い出したのだろう。
 BG団で実験体として、コンクリートの壁で作られた地下室で三人で迎えた最初のクリスマスをアルベルトとて忘れたことはない。どうにか工面してきた生地だけのデコレートされていないケーキとサンタクーロスの蝋燭、安物のシャンパンしかなかったけれども、わずかに灯された光は荒んだ彼等の心を温かく包んでくれた。
 自由になれたら、皆でクリスマスを過ごそうとそう約束した。
 ジェットも闘病生活中、クリスマス・イブになるとこの約束を思い出していそいそとパーティの準備に勤しんでいた。
 フランソワーズにも、この約束が深く記憶に刻まれているのだろう。
 アルベルトは静かに席を立つと、フランソワーズのことを振り返ることなく部屋を後にした。
 きっと、彼女はこんな姿を見られたくはないはずだ。
 それを、許したのはジョーだけなのだ。
 痛い程に、アルベルトはフランソワーズとジョーの二人の気持ちが理解出来る。
 生涯の伴侶であるジェットを失ったから分かることだった。廊下でジョーと擦れ違うが、互いに何も語らない。
 目と目で確認するだけである。
 人生の伴侶を看取るものにしか分からない心が触れ合う。
 アルベルトはフランソワーズの部屋に入っていこうとしたジョーの背中を見送った。
 ジョーはまるでその視線を感じたかのように振り返る。
「メリー・クリスマス。アルベルト」
「メリー・クリスマス」
 そして、ジョーは躊躇うことなく、振り返ることなくフランソワーズの部屋へと消えていった。





BACK||TOP||NEXT



The fanfictions are written by Urara since'06/12/24